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小説

Novel
長編小説「クレイ堕獄譚(プリズンレコード)」

第1章 10話 ラグノーネ

 
 殺風景な医務室の処置台に横たわるメェミーは、その全身が血にまみれていた。相当な痛みを伴う怪我だが、凍りついたように動かない。

「死んでいるのか」

 静かに口を開いたのは、巨大な杖を携えた鎧姿の男だった。

 種族はヒューマン。年齢は四十半ばといったところだが、落ち着いた物腰が年齢を曖昧にしている。

 髪も髭も丁寧に整えられ、不衛生になりがちな堕獄において、その身なりは異質ですらあった。

 貴族か、それとも国軍将校か。生まれながらの支配階級だけが持つ、触れがたいほどの高貴さがその立ち姿に滲んでいた。

 名をラグノーネという。


Illust:中西達哉

 問いかけられたバッドバットは恐縮し、声を裏返らせて答えた。

「いえ、ギリギリのとこで生きてます。だけど俺があと半日遅かったら臓珠になってた。運がいいやつです」

「彼女が負けるほどの堕獄獣が出たというのか」

「いや……これを見て下さい」

 バッドバットがメェミーの腕を持ち上げると、“0” と刻まれた罪能が露わになった。

「罪能が無くなって、それでも無理やりクダシの湿原を突っ切ろうとしたんでしょう」

「そして堕獄獣に襲われた」

 バッドバットは苛立ったように舌を鳴らした。

「あいつの罪能はまだまだあった。いきなり0になるなんてありえないんです。なのにどうして……」

「それは彼女本人に聞くよりほかに知る方法は無いだろう」

「残念ですけど……こいつ、このまま死にますよ」

 堕獄獣に噛まれたのだろう。メェミーの傷は深く、消化されかけた肌は皮下組織が剥き出しになっている。

 居住区の医務室は名ばかりで、備え付けられたキャビネットには蜘蛛の巣が張っていた。メェミーが横たわっている処置台は治療を施すためのものではなく、“死んだ”人間が蘇生するまでの一時置きでしかなかった。

 しかしメェミーには蘇生するだけの罪能が残っていない。

 ラグノーネは静かに腕を上げてバッドバットの動揺を制し、冷えた目でメェミーを見下ろした。

「治癒魔法は専門外だ。少々荒くなるが、耐えるように」

 男は杖を掲げた。その先端から青い光が広がって、メェミーの身体を包みこんでいく。

 瞬間、メェミーが獣じみた叫び声をあげた。

「——っ! が、ぁっ!」

 光から逃れるようにメェミーがジタバタともがき、ラグノーネは無感情な声でバッドバットへ言い放つ。

「押さえなさい」

「は、はいっ!」

 慌てて押さえつけると、青い光に照らされたところからまたたく間にメェミーは再生していった。

「す、すげぇ……」

 惑星クレイにおいて、すべての人間が魔法を使えるわけではない。

 デーモンやシルフなど、比較的魔法が得意な種族はいるが、洗練された魔法を操る者は稀だ。

 魔力に恵まれ、訓練を積んで初めて魔法を使えるようになるが、そんな『恵まれた』人間は堕獄にはやってこない。

 ゆえに堕獄では罪能が重視され、罪能を失うことはすなわち死を意味するのだ。

 ラグノーネが腕を下ろすと、痛みで焦点を失っていたメェミーの瞳がゆっくりと正気を取り戻していった。

「……ラグノーネ、様……?」

 身を起こし、見慣れた医務室をきょろきょろ見回した。

「ここ、医務室……? どうして……?」

「堕獄獣に呑まれていたお前をバッドバットが発見した。その経緯を報告するように」

「えっと、えっと……確か……」

メェミーはしばらく考えこんだあと、拙い口調で話し始めた。

「……起きて、着替えて、居住区から出たんです。どうしてかって言うと、そろそろビギナーが来る時期だから、管理者チューターしなきゃって……」

 躓いたように口ごもり、自分の手元に視線を落とした。焦って唇を噛んだが、どうにも言葉が出てこない。

「それから……」

「それから?」

 淡々とラグノーネに促され、メェミーは必死の形相で叫んだ。

「あたし、ちゃんとお仕事してたんです。絶対遊んでなんかなくて……信じてください!」

 ラグノーネは蕾がほころぶように微笑した。

「お前の仕事ぶりを疑っているわけではない。だから、『はい』か『いいえ』で答えなさい。覚えていない、そうだな?」

「たぶん、ちょっとだけお昼寝しちゃって堕獄獣に食べられて——」

「『はい』か『いいえ』で」

「……はい」

 メェミーが俯くと、慰めるようにラグノーネが肩を叩いた。

「従士房に新しい部屋をやろう。そこでゆっくり思い出すといい」

 従士房への移動は、“騎士”から“従士”に降格することを指す。

「どうしてですか!」

 答えに代えて、ラグノーネはメェミーの腕を掴んだ。

 肌には“0”と黒く刻まれており、それを貫く刺し傷が残っている。

「これでは “騎士” の務めは果たせないだろう」

「……ウソ、なんで」

「さて、なぜかな。私はそれを問うているのだが」

「メェミーちゃんはヒツジで……強い強いヒツジで……ここから出て、本物の騎士になって……なのに……」

 メェミーは唇をおののかせ、やがて歪な笑顔になった。

「思い出した! 思い出しちゃった! そう、すっごく大きな堕獄獣が出たんです。斧が全然通らなくて、罪能が無くなって……そいつに腕を噛まれて、あたし……」

「——嘘をついている」

 ラグノーネの眼の底が赤く光ってメェミーを捉えた。

 ヒッ、と子どものようにメェミーが悲鳴を漏らす。

「ゆ、許してください。どうか、どうか……だってあたし、騎士になるってずっとずっと、三百年も……!」

 男はメェミーの腕を掴む手に力をこめる。指がきつく食いこんで血が滴り落ちた。

「堕落を許した、姦淫を許した。目に余る蛮行も、止めどない放埓も、私は慈悲深い神のようにすべてを赦してきた。なぜだかわかるか?」

 畏れるメェミーは、口からあぶくを垂らし喘ぐように答える。

「嘘をつかなかったから……」

「左様」

「——ギ、」

 錆びたネジを巻いたような音を最後に、メェミーの目から意思が消えた。代わりに瞳の底に赤い光が灯って、見開いたまま処置台に倒れていく。

 どん、と鈍い音を立てて身体がバウンドした。四肢は左右に投げ出され、先端だけ内側に丸めた奇妙な形で硬直する。
 
 絶命した蜘蛛に似ていた。

 ラグノーネは一瞥だけして、二度と彼女を見なかった。踵を返して医務室から廊下に出た男を、バッドバットが追いかける。

「手がかり無し、厳しいですね」

「犯人はナイフを使う男だ」

「へ? なっ……」

 何でわかるんンすか。

 そう言いかけたのを飲みこんで、バッドバットはぎこちなく頷いた。ラグノーネが断言したからには間違いないのだろう。

「しかしナイフですか……持ってないヤツの方が珍しいですよ」

 堕獄で暮らす上でナイフは生活必需品だ。食材を捌き、髪を切り、爪を削る。罪器系でなくても人を刺すことぐらいできるだろう。犯人を絞れない。

 バッドバットははたと翼を打った。

「メェミーは腕を刺されてた。傷跡の刃幅からナイフを絞りこめば……」

「悪くない案だ。しかしネズミを追うのは猟犬と決まっている。——ハウンド」

 廊下は暗く、松明の青い火がゆらゆらと揺れている。その闇の底からせり出すように無骨な鎧姿の男が姿を現した。

 天井を覆うような長身のヒューマンで、年はラグノーネに近いだろう。ぞろりと伸びた黒髪には白いものが混じっているが、鍛えあげられた肉体はまったく衰えを感じさせない。

 手には闇色に光る巨大な戦斧。まっすぐな片刃は断頭台に落ちる鉄の刃を思わせる。

 その姿を目にした瞬間——

「ひっヒィッ……」

 無様な悲鳴をあげ、バッドバットは地面に這いつくばって「殺さないでくれ」と命乞いしていた。

 殴られたわけでも、斧を突きつけられたわけでもなかった。それにも関わらずバッドバットが抱いたのは、本能的な恐怖だった。

 荒れ狂う海、底の見えない永遠の奈落、そんな人知の及ばないものを目にしたときのような、圧倒的な絶望。

 石床に顔を押し付けて震えていると、クックッと笑い声が降ってきた。

 恐る恐る顔を上げれば、ラグノーネが愉快そうにハウンドの胸を叩いている。

「私の兵を虐めるな」

「……虐めてはいません」

「お前の顔が怖いせいだからな」

「……生まれつきです」

「いいや、顔に性格が出ている」

 機嫌を直したらしいラグノーネとは反対に、ハウンドは眉根に皺を寄せ、どこまでも陰鬱な顔をしている。

「仕事をやろう」

 含み笑いのまま、ラグノーネはハウンドの鼻先に手を伸ばした。

 その指先にはメェミーの傷から滴った血がついている。

 ハウンドは瞳を閉じ、すぅ、と血の臭気を吸いこんだ。

「覚えたな?」

「……はい」

「さぁ、獲物を取ってこい」

 一筋の風が吹いて、バッドバットがまばたきをすると、すでにハウンドは消えていた。