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小説

Novel
クレイ群雄譚(クロスエピック)

第1章 誰が為の英雄

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第1章 1話 はじまり

Illust:kaworu

 その木は大変燃えにくく、七度かまどの火にくべられても燃え残るという。

 ゆえに、ナナカマド。

 耐火のため、とある地方では火事除けの木として庭に植えられることもあるのだとか。

——なんて、正直買いかぶりすぎだって!

 ロロワは心の中で絶叫しながら、黄金の麦畑を全力で駆けた。

 見た目は頼りない、身体は細い、剣の腕だってそこそこ。自慢できることと言えば……うん、正直何もない。それが十七年生きてきた結論だった。

 けれど彼の育て親はいつもこんなことを言う。

「お前の身体は燃えない! だから魂を燃やせロロワ、ナナカマドのバイオロイド!」

 同じく麦の畑道を全力で走りながら、青年はロロワの背中をバン! と叩いた。大柄な彼の名前をオリヴィといい、オリーブのバイオロイドである。身の丈も、身体の厚みも、ロロワの二回りは優にあった。

「そんなこと言ったって! これはさすがに身体も燃えるよ!」

 息が切れる、視界が揺れる。それでも縺れる足は止められない。

 なにせ、後ろより全身に炎を帯びたインセクト『バーナー・アント』が襲って来ていたからだ。

「オマエラ、邪魔、邪魔ァ!」

 絶叫しながら、身の丈3メートルはあろうかという巨大なアントが火を放つ。服の裾から火がついて、二人の服はめらめらと燃えあがった。

「あちっ! あちぃっ!」

「熱、熱っ!」

 どうしてこんなことに……!

 火を消すため奇妙なタップダンスを踊りながら、ロロワの脳裏には走馬灯のように記憶が蘇った。

 今朝のことだ。惑星クレイ各地を旅する二人は、通りがかったトゥーリ村でこんな会話を聞いた。

『麦畑のほうでバーナー・アントが暴れてて……』

『あれじゃあ怖くて誰も近寄りゃしない』

『まだ畑がやられてないからいいものの、いつ焼かれるか……』

 傍らで、育て親であり兄貴分のオリヴィはグッと拳を握りしめていた。その精悍な顔は義憤に満ち、深いオリーブ色の瞳にはめらめらと炎が燃えているかのようだ。

『あのさ、オリヴィ……?』

 ロロワはそっと声をかけつつ、嫌な予感がした。しかも残念なことに往々にして当たるのだ。

『行くぞ、バーナー・アント討伐!』

 そういうことになった。

 なったが、もちろん上手くいくわけはない。なにせ二人とも戦いが得意ではないのだ。

 バイオロイドという種族は植物の因子を持っている。姿かたちは人間ヒューマンに近いが、髪や身体に分身である花や葉を纏う。

 オリヴィは人間ヒューマンでいうと二十歳半ばに見受けられるオリーブのバイオロイドで、髪に巻き付くようにオリーブの葉が伸びている。擦れた服の胸には、黒く熟したオリーブの実のようなペンダントが揺れていた。

 長剣を帯刀しているが、それが戦いに使われているところは見たことがない。せいぜい獣道をいくのに邪魔な下生えを払う程度だ。

 対して弟分のロロワは今年で十七歳になる。深緑の髪はナナカマドの葉と実に彩られ、そこにやや情けない表情の顔がついている。種族の特徴として端正な目鼻立ちをしているが、自信なさげな佇まいのせいでどうしても印象が弱い。

 彼もまた柄がナナカマドによって彩られた細剣レイピアを帯びているが、最後に使ったときのことすら思い出せないのだった。

 そんな二人がバーナー・アントに挑んだのはあまりに無謀であったと言える。

「くっ……」

 麦畑を走ったすえに、二人はついには深い用水路に行き当たってしまった。振り返れば、バーナー・アントは細く煙を吐きながらこちらにじりじりと迫っている。

 オリヴィの顔が苦悶に歪んだ。

「こうなったら仕方ない……奥の手を使うぞ」

 兄貴分として実に頼もしい言葉だ。ロロワが期待の目を向けると同時にオリヴィの腕が伸びてきて、むんずと胴を掴まれる。

「えっ?」

 抵抗する間もなく、オリヴィはロロワをぶん投げたのだった。

 用水路の向こうに、ではない。バーナー・アントに、だ。

「いけっ、ロロワ! 頭突きだ!」

「って、えぇえぇえぇえぇぇ?!」

 決まり手、ロロワの石頭。

 すばらしいコントロールで脳天に直撃を受けたバーナー・アントは、大きく身体を揺らがせ地面に倒れた。

 そこまではいい。脳細胞がごっそりと天に召された気配はあるが、百歩譲って良しとしよう。

 問題はここからだった。

「よしっ!」

「いったた……」

 ロロワが頭を押さえながら立ち上がると、爪先に何かが当たった。火がついたままのバーナー・アントの腕だった。

「——あ」

 蹴とばされた腕が、乾いた麦畑に触れ——瞬間、麦穂が燃え上がった。

 残念なことに鎮火には数時間を要し、辺りは一面の焼け野原となった。

      *

 村に戻るなり、ロロワは地面に着くほど深く深く頭を下げた。

「あ、あの、本当にすみません!」

「うーんと、いいよ、いいよ、どうせあいつに燃やされるのは時間の問題だったからね」

 困ったように、それでいて優しく言ったのは蕪のドリアード『ウーント・タナップ』だ。四肢のついた蕪という出で立ちをしており、そこにつぶらな瞳と可愛らしい口がついている。

 ドリアードは植物から生まれた精霊で、ほとんどが日々農作業に従事し、食料の生産に勤しんでいる。小麦屋の店先でロロワが謝る間にも、道ではたくさんの野菜を積んだ荷車が行き交っていた。

 彼らがいるのは、ズーという国の西の片田舎・トゥーリだった。名勝もこれといった特産物もないが土に恵まれ、ドリアードたちは立派な村を作り日々の暮らしを立てている。

 緑豊かなこの国家では、惑星クレイの食料の90%以上が作られていた。ズー、そしてドリアードたちはクレイの食糧庫として胃袋を握っているのだ。

「俺からもこいつに言っておきますんで!」

 隣でいけしゃあしゃあと兄貴風を吹かすオリヴィにロロワは内心で溜息をついた。でも、なんだかんだ憎めないんだよな。

 ぐんぐん引っ張る力や、溌剌としたコミュニケーション能力は自分に欠けている自覚があった。

「最近はどうですか、このあたりは変わらないですか? ドラゴンエンパイアとかユナイテッドサンクチュアリの方じゃ、結構大変だって聞きますけどね。海の向こうだから関係ないのかな」

 オリヴィが世間話を投げると、ウーント・タナップは困ったように顎に手をやった。

「うーんと、なるべく普段通りにはしてるけど……不安は不安よ。でもぼくたちはいつも通りでいないと、みんな腹ペコになっちゃうから」

「いや、本当にそうです! 頭が下がります。困ったことがあったら俺たちに言ってくださいね、何でもしますから!」

「うーんと、無いね」

「おっとっと」

 オリヴィはずっこける仕草でおどけて見せ、ウーント・タナップは肩を竦めた。なかなか信頼からは遠いようだ。

「じゃ、俺たちはこの辺で。今日中に次の村に行こうかと思ってるんで」

 オリヴィが軽く会釈をする。二人はこうして村から村へ旅をする生活を送っていた。困っている人がいれば力を尽くし、解決すれば次の村に行く。その繰り返しだ。

 ……正直、解決できないことが多いのは確かだけれど。

 オリヴィが踵を返すと、ウーント・タナップが袖をガシッと掴んだ。

「待って待って、ぼくは宿屋もやってるんだ。これも何かの縁、泊まっていきなよ」

「いやぁ、悪いですよ」

「うちの麦を焼いた分、金を落としていってもらわないと」

「たはは、それを言われちゃうとな……ちなみにお代は……」

「うーんと、一人金貨一枚でいいよ」

「高っ?! 金貨一枚もあれば十日、パンなら三百個は……いや、なんでもないッス」

「うん。宿はこっち」

 ウーント・タナップに案内されながら、ロロワはオリヴィの耳元にこそこそと囁く。

「ちょっとオリヴィ、金貨一枚なんて予算オーバーだよ」

「だよな。くっ……何かあったらこれを売って……」

 苦悶の表情と共にオリヴィが掴んだのは、胸に下がったペンダントである。オリーブの実に似た黒い石がついていて、それを取り囲む細かなミル打ちの金細工が輝いている。

 前を行くウーント・タナップがチラリとこちらを見た。

「そんな汚いネックレス、売れないでしょ」

「あらら、聞こえてましたか」

「うーんと、あぁ、そうだ。困ったことと言えば、あれ」

 ウーント・タナップが指し示したのは、石畳で舗装された十字路だった。指の先を見れば、石が削り取られ、巨大なわだちのような跡が残っている。それは街のはずれの方まで続いている様子だった。

「最近多いのよ、あぁいう変な跡。道だけじゃなくてうちの麦も蕪も結構潰されちゃってさ。誰がやってるんだろう? 見つけたら懲らしめておいてよ」

「……へぇ、了解ッス。俺たちに任せてください!」

 答えるオリヴィの声は形ばかり軽快だったが、その目は鋭い光を帯びていた。いつになく真剣な顔つきに胸騒ぎがして、ロロワは前を行く彼に声をかける。

「……オリヴィ?」

「どうした、そんな顔して。なんでもねぇよ」

 オリヴィはからりと笑って、ロロワの頭をはたいた。

      *

 この世に生まれ落ちた日のことを、どれだけの人が覚えているだろう。けれど、少なくともロロワはありありと覚えている。

「――よう、ガキ。お眠の時間は終わりだぜ」

 青年の声はぞんざいで、不躾で、こちらのことなどお構いなしだった。薄く大きな葉によって揺籃のように包まれていた意識が、ゆるやかに覚醒していく。もちろん、その穏やかな目覚めさえ許す男ではなかった。

「だから起きろって。モーニン、モーニン、グッモーニン!」

 最後の言葉と共に足先が降ってきて、少年を包んでいた薄い葉膜が破られる。そのまま蹴り飛ばされて、外の世界にまろび出た。

 これが彼の人生におけるはじまりの記憶だ。バイオロイドに父や母はなく、植物に包まれ生まれ落ちる。

 その目の前で仁王立ちになっているのはオリーブのバイオロイドだった。胸には黒いペンダントがキラリと光っている。

「オリヴィだ。愛情を込めてお兄ちゃんって呼んでもいいぜ。お兄様でも可」

「オリ、ヴィ……?」

「そうだ!」

「……っ」

 成長した姿で生まれ落ちるバイオロイドだとはいえ、これほど急な展開は脳が追いつかない。見知らぬ相手の威勢が恐ろしくて、助けを求めるように彼は周囲を見た。

「――ひっ」

 思わず悲鳴が漏れてしまったのは、あたりに広がる凄惨な光景のためだった。元は見通しのいい森か何かだったのだろう。しかし今や、丈の低い草木は灰白く枯れ果て、木々もまた葉の総てを落としている。甘く腐り落ちたような臭いが満ち満ちて、胸が悪くなりそうだ。

 鳥も、虫も、見渡す限り、およそ命と呼べるものは死に絶えている。何か途方もない力によって蹂躙され尽くしたとしか思えなかった。

 そのただ中で、固く閉じた蕾のように膝を抱えている自分と、その前で不遜に立ち尽くす男の姿はあまりに異質だった。

「ちなみにこのまま放っておくとお前も枯れる。たった今生まれたところ残念だったな。ご愁傷様」

「僕は、ど、どうすれば」 

「助けて欲しいか?」

「っ……たす、ける……?」

 今でも不思議に思うのだ。その問いに反射で答えられなかったのはどうしてだろう。

 生まれたてで、まだ判断する力がなかったから? 

 オリヴィが恐ろしくて、声も出せなかったから?

 それとも……生きたいなんて思っちゃいなかったから?

「返事は!」

「は、はいっ!」

「いいぜ。ただし条件がある。俺と一緒に、この世界を命で満たすんだ」

「いのちで、みたす……?」

 また力のないオウム返しになってしまう。言葉は聞こえるのに、何を言われているのかわからなかった。

「なんだその目は。救うなんて偉大で大きなこと、僕にはできませんって顔だな?」

 オリヴィはふふんと笑って胸を張る。

「別にかの有名なブラスター・ブレードになろうってんじゃない。そりゃ逆立ちしたって無理だ。それでも!」

 オリヴィの腕が少年の手を掴み、力強く引き起こした。つんのめりそうになりながらも少年はどうにか二本の足で立ち上がる。灰を孕んだ風が、頬を撫でて吹き抜けていく。

「俺たちにだって、人を助けることはできるさ。どんな些細なことだっていい、つまらないことだっていい。世界は広いんだ。そうだろう、相棒!」

「う、うん」

「よし、今からお前の名前はロロワだ。七度焼かれても立ち上がる、ナナカマドのロロワだ!」

 それがオリヴィとの出会いだった。

 のちに、木々が枯れ果てていたのは原因不明の大災害のせいであり、ロロワは唯一生き残ったバイオロイドであったと知ることになる。揺籃から助け出され、生まれ落ちることができたのは奇跡だったとしか言いようがなかった。

 それからオリヴィと共に世界各国を渡り歩き、17年になる。その間、様々な人々と国を見た。

「ユナイテッドサンクチュアリ」――信仰と科学技術を融合させた正義と秩序を重んじる神聖国家だ。正規軍である「ロイヤルパラディン」を筆頭とする複数の騎士団を持ち、国内の治安維持のため尽力している。

「ドラゴンエンパイア」――東西に広がる広大な領土と、第一柱軍「かげろう」を筆頭とする強大な力を持つ竜たちが支配する帝国だ。

「スターゲート」――最南端に位置する大国家で、他星との交流が盛んな国だ。ノヴァグラップラーやディメンションポリスなど、科学技術に長けたクランが多く属している。また、かつて起こった『星輝大戦』によって惑星クレイを侵略しようとしたリンクジョーカーがその後暮らしているのもこの国だ。

「ダークゾーン」――魔の眷属たちが魔術によって支配する国家だ。惑星クレイでの大人気スポーツ『ギャロウズボール』の選手たちによるクラン・スパイクブラザーズや、華やかな悪夢のサーカス団・ペイルムーンもここで活動する。

「メガラニカ」――海賊たちや海軍などのあらゆる海の住人たちと、ゾンビなどの不死の住人たちの暮らす多島国家だ。愛らしい人魚たちによるアイドルユニット・バミューダ△は、どんな人の心も和ませる。

 そして最後にこの「ズー」。前述の通り食物生産国家であり、ハイビーストたちによる学問の都・グレートネイチャーを持つ。また、ロロワたちが会敵したバーナー・アントのようなインセクトたちによる犯罪集団・メガコロニーが拠点としているのもこの国になる。

 各村、各国家を渡り歩きながら、ロロワとオリヴィは自分たちにできることをしてきた。鎧のメンテナンスをしたこともあった、村を困らせるクラーケンと戦ったこともあった、サーカスのチケットもぎりをしたこともあった。身の危険を感じたことも一度や二度ではない。

『あれは凄かったよな。クロノスコマンド・ドラゴン! 未来から呼ばれてきてクロノジェット・ドラゴンに協力したって話だろ?』

『いやいや、巻き込まれたら死ぬところだったんだから!』

 旅を続けていれば、名前しか聞いたことがないような英雄の戦いを遠くに見ることだってある。もちろんロロワたちのような一般市民はなるべく離れるのが正解だが、好奇心旺盛なオリヴィは御覧の通りだ。それでも致命的なピンチにはならないのがさすがと言ったところだろうか。

 案外要領がいいオリヴィに対して、ロロワはなかなか上手く物事をこなすことができない。

 いつだったかそう泣き言を漏らしたとき、オリヴィはからっと笑った。

『そりゃ当たり前。お前はまだ17、まだまだ双葉が頭に乗ってんだ。俺がいくつに見える?』

『二十五……もうちょっといってる? 二十七ぐらいかな』

『1000とんで5歳。いや、4歳だったかも』

『……え? その冗談、すべってるよオリヴィ』

『んだと! それぐらい敬えってことだよ。だからこの花蜜(ジュース)、寄こせ!』

『嫌だって、ちょっとこぼれる、わ、うわーっ!』

 オリヴィはいつものように冗談を言って、それとわからないように慰めてくれたが、『僕はどうしたら』という気持ちが消えることはない。

 今日だってそうで、結局麦畑を焼いてしまった。火がつくなり一気に燃え上がった炎がまだ瞼の裏に残っている。

 自分がバイオロイドであるせいか、丹誠を尽くして育てられた畑が燃えるのは、自らの身体を斬られることよりも辛かった。

——眠れない……

 ロロワは宿屋の寝台の中で身じろぎをする。眠ろうとすればするほど炎が脳裏に蘇り、胸騒ぎで目が冴えた。隣にチラッと視線をやれば、オリヴィは豪快ないびきをかきながら眠っている。

「むにゃむにゃ……もう食べられない……」

「べたな夢だなぁ」

 思わず笑ってしまいながら、ロロワは寝台から身を起こした。かけてあったジャケットを羽織り、細剣(レイピア)を携える。何ができるとも思えなかったが、ただ眠っているわけにもいられなかった。

 物音を立てないように宿屋を出ると、通りに人の姿はない。空に昇っているはずのふたつの月は新月なのか見当たらず、夜闇を濃くしていた。

 風が強くて、胸がざわりと騒ぐ。ロロワは麦畑への道を急いだ。

 焼け果てた畑には黒い灰が積もるばかりで、美しかった金の麦穂は跡形もなかった。改めて見て、その惨状にロロワは絶句する。

 いてもたってもいられなくて、ロロワは地面に膝をつき両手で畑に触れた。どんなに駄目なバイオロイドでもバイオロイドだ。魔力によって草木を祝福し育む力は存在する。

 祈るように力を籠めると、手のひらが白く淡い光を纏い大地に注がれていく。けれど一向に反応はない。絶望的な気持ちで顔をあげたそのときだ。

 灰をかぶった畑から、一本の幼芽が顔を出した。

 やがて、もう一本、もう一本と、幼い麦たちが芽吹いていく。ついには焼け果てた畑の全体から、青々とした麦が育っていく。

「やった……!」

 しかし、麦穂をつける直前に異変が起こった。

 成長が止まり、根から腐るように黒く染まった。瞬きの間に、麦は緑から黒、そして白灰色に転じて枯れ果てたのだった。

 まるで、そう――あの日の光景のように。

「――どうしてっ!」

 ロロワが絶叫した刹那だった。

 ず、ずず、ず……と巨大な質量が地面を引きずってくる音がして、どこからともなく声がした。

『――』

 足元が崩れ、奈落へと吸い込まれていくような心地さえする、おぞましい響き。声も出せず、ゆっくりと背後を見る。

 闇の中に在ったのは、得体の知れない『巨躯(アンノウン)』だった。真っ赤な殺意に染まった瞳が無数に光り、『巨躯(アンノウン)』は一体や二体ではないことが察せた。

ずず、ずずず……

 引きずる音に、何か長大なものであることだけ予想がつく。

 ふとロロワの脳裏に浮かんだのは、村で見た巨大な轍だった。

——まさか、追われていた? どうして。

 『巨躯(アンノウン)』は赤黒く惨憺たる咢(あぎと)を広げ、嗤った。

「……っ!」

 足が震えて動かない。歯が鳴る。生物の本能として、決して敵わないと悟る。逃げることも、声をあげることも、ましてや立ち向かうことなんて、到底――

「おいおいロロワ、夜にションベンするなら一緒に行こうぜって言っただろ。オリヴィ、寂しくて泣いちゃいそうだワ」

 聞き慣れた彼の声が軽快に届き、けれど、記憶はそこで途切れている。

      *

――ザクッ、ザクッ

 まどろむロロワの耳に聞こえてきたのは、土を掘る鈍い音だった。雨上がりの地面の香り、身体の自由を奪う重い感触……濁る思考のせいで、自分はどうやら土の中にいるらしい、と理解するまでしばらくかかった。どうにか身じろぎをして、四肢に被った土が動くのがわかる。

――ザクッ

 もうひとつ音がして、顔にかぶっていた土の感触がなくなる。閉じたロロワの眼裏(まなうら)に、パッと光が差し込んだ。

 地面に掘られた穴の上からロロワを覗き込んでいたのは、角灯(ランタン)とショベルとを手にした少女だった。見た目の年齢はロロワと同じぐらいで、種族は人間(ヒューマン)だろうか。高いところで結んだ髪と意思の強いまなざしが印象的だ。

Illust:kaworu

 ロロワは力を込めて、どうにか地中から上半身を起こした。土まみれの指先を少女に向かって伸ばす。

「あの、あなたは一体……? ここは……?」

 その挙措に問題があったとすれば、全身乾いた土にまみれたその姿は、夜闇のなかでゾンビもかくやという不気味さだったことだろう。

「……っ!」

 少女の紅炎色の瞳が驚愕によって見張られ、漏れかけた悲鳴を飲み込もうとして――飲み込み切れなかったようだ。

「キャァアァアァァッ!」

 少女はシャベルを振りかぶる。振り下ろす先はもちろんロロワである。

「ちょっ、待っ!」

 制止は間に合わず、ザクッ! と、ひときわ鈍い音が響き渡り、刃先がロロワの肩に突き立つ。それによりロロワの左腕がもげ落ちて、ボト、と地面に落ちた。もはや声にならない少女の絶叫が響いた。

 二人が冷静さを取り戻すまでに時間がかかったのは言うまでもない。

「――……るかった」

「え?」

「悪かった、って言ってるの。でも地面に人が埋まってるなんて思わないでしょ。そういう種族なの? 趣味なの?」

 少女はぎゅっと拳を握りしめ、憮然とした表情である。

「趣味……ではないかな。どうして埋まってたのか、僕にもわからなくて」

 ロロワの右手にはもげてしまった左腕がある。不思議なことに痛みはなかった。左腕は乾いた大根のように萎びていて、元からほとんど機能していなかったようだ。肩先の断面もまた、萎びた野菜のようだ。衣服もまたボロボロになって今にも崩れ落ちそうである。

 狂乱のあと無事に掘り起こされたロロワは、ここがどこなのかようやく見渡すことができた。

 巨大な木の根元である。根が地上に持ち上がってゴツゴツとあたりに広がり、そこから天へと伸びる幹は太すぎて一瞥ではどれほどか見当もつかない。冬が訪れようとしているのだろうか、それとも老樹なのだろうか。見上げれば、枯れた葉がまばらに茂り、風が吹くたびに散っている。

 巨大な木を囲むように石煉瓦造りの建築物がある。夜更けのため、炬火(トーチ)が揺れるばかりで他に人影は見当たらなかった。

 どうやらこの根本に自分は埋まっていた、ということらしいけれど、その理由はさっぱりわからない。意識を失う前の事を思い出そうとすればズキリと頭が痛み、靄がかかったように判然としない。

 最後は……そうだ。いつも通り夕食を食べて眠りについたんだ。

 それで、オリヴィはどこに?

 記憶の糸を手繰るため目を眇めた、そのときだ。

「ピャアッ!」

 少女の背後から、ピョン、と小さなドラゴンが飛び出してきた。少女が身に着けた紅炎色の衣服と同じ色の毛並みと、立派な二本の角がある。尾では小さな炎が燃えていた。

 ドラゴンに頬ずりをしながら少女はロロワを見据えた。

「この子はモモッケ。誇り高きかげろうのドラゴンよ。そして私はドラグリッターのラディリナ。ラディでいいわ」

 ドラグリッターとはドラゴンと共に戦うドラゴンエンパイアの騎士のことだ。ドラゴンナイトとも呼ばれ、ネハーレンなどが勇名を馳せている。しかしドラグリッターはドラゴンに騎乗して戦うもので……

「こんなに小さいドラゴンいるんだ。可愛いね」

「……可愛い・・・?」

 途端にぐっと低くなった少女の声音に、地雷を踏んだと気づき慌てて話題を変える。

「そ、そうだ。僕はロロワです」

「そう。あなた、どうしてあんなところに埋まってたの?」

「それは僕が知りたいぐらいで……」

「……すっごくアクティブな夢遊病患者ってわけね。聖域に浸入して、地面に埋まっておくなんて」

「聖域? どこのことですか?」

「ここよ、ここ。世界樹のド真下!」

 なるほど、この大樹が世界樹らしい。

 世界樹とは惑星クレイに点々と存在する強い魔力を帯びた樹木のことだ。その影響下により周辺の木々は豊かに茂り、動物も伸び伸びと暮らす。世界樹の裾野には街が繁栄することが多く、それを守るために巫女たちが存在する。オリヴィと旅をする中で、世界樹を遠目に見たことはあったがこんなに近づくのは初めてだ。

 知らないうちに時空間異動してしまったのだろうか? それなら早くオリヴィのもとに戻らないと。

「ここって、ズー大陸のどのあたりですか? 東? いや、西かな?」

「ズー?」

 ラディリナはフフッと吹きだした。

「どんな冗談? ここはストイケイア、ストイケイアの西、トゥーリ」

「スト……イケイ……ア?」

 突然出てきた知らない単語をオウム返しにする。ラディリナが頷く。

「だって、ズーなんて三千年も昔に無くなったでしょう。まだ寝ぼけてる?」

「え、えぇ……?」

 ラディリナが駄目押しのように力強く頷く。

「――待ってください! そんなはずが……だって」

 三千年という数字はあまりに大きく、現実感がない。しかもズーほどの巨大な国家がなくなってしまったなんて、冗談にしても荒唐無稽だった。思わず彼女の肩を掴んで問いただしそうになったそのとき、石レンガ造りの建築物の方から鋭い声がした。

「そこ、誰だっ!」

 見れば、炬火(トーチ)を手にしたバイオロイドたちがこちらにやってくる。聖域というほどだから、おそらくここの警備だろう。

「チッ」

 物騒な舌打ちと共にラディリナが何かをむんずと掴んでぶん投げた。素晴らしいコントロールと剛腕により、警備の一人が昏倒する。しかしそのぶん投げられたものと言うのは……

「僕の腕――!」

「行きましょう、モモッケ」

「ピャァッ!」

 シャベルと角灯(ランタン)を打ち捨て、ラディリナは警備員たちから逃げ出した。ロロワが追いすがって後に続くと、露骨に嫌そうな顔をする。

「何でついてくるの」

「いや、だってめちゃくちゃ怒られそうな感じじゃないですか!」

「それはそう」

「やっぱり!」

 ロロワが絶叫したタイミングで「いたぞ!」「逃がすな、追いこめ!」と物騒な声が聞こえてくる。もうほとんど泣きそうだ。泣かないけど!

 そうして三千年後の世界は、わけもわからないまま、問答無用で幕を開ける。