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小説

Novel
クレイ群雄譚(クロスエピック)

第2章 ブルーム・フェスにようこそっ!

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第2章 3話 激闘クラスオーディション!前編

 ステリィの研究室は静かな中庭に近い研究棟の一角にあった。
 その外装は白い磨りガラスの窓は鍵盤、黒い窓枠が黒鍵と、ピアノがモチーフになっている。
(そーっと……そーっと……)
 自分に言い聞かせて息を殺しながら、ノクノは抜き足差し足で近寄った。磨りガラスの窓に春桜色の影が映ってピョコピョコと動いている。
(……ミチュ!)
 ノクノは身を屈めつつ、壁に耳をくっつけた。
 ぼそぼそ……ぼそそ……
 話している気配はするものの、意味のある言葉には聞こえない。ノクノはさらに強く壁に耳を押し当てた。
 と、ノクノの横で壁にウサギ耳をくっつけたのはハーゼリット。
 その横でパンダと一緒に壁に耳をくっつけたのはメディエール。
 その上に覆い被さるように壁に耳をくっつけたのはリルファ。
「……っ!」
 ノクノは思わず大声が出そうになってしまった。
(な、なんでみんないるの!)
(えへへ、だって気になっちゃったんです)
 そう言ってメディエールはパンダの手をパタパタと振り、
(そうそう、友達のピンチにじっとしてられないよ!)
 ハーゼリットはウサギ耳をピョコピョコと動かした。
 すると——その先端が、長身を屈めていたリルファの鼻をくすぐる形になり、リルファはすっぱい物を食べたように顔をくしゃりと歪めた。
 嫌な予感がした。
 的中した。
「——ハッ、ハッ……!」
(え、リルファ?)
「——ハァックション!」
 桁違いの特大クシャミが放たれ、磨りガラスの窓が割れんばかりにガタガタ震える。
(やっちゃった、バレちゃう!)
 ハーゼリットが文字通り脱兎のごとく逃げ出した、そのとき——

「“疾く響け弦音martellato”」

 凜と張りのある声が響き、窓が光の破片になって砕け散る。光が宙に溶けると、含み笑いのステリィが研究室からこちらを見ていた。
 走り出したハーゼリットは光の破片に捕まって浮遊しており「えっえぇぇっ?!」と、空中を蹴りながらジタバタともがいている。
「コラコラ、盗み聞きはダメだぞ」
 ステリィのシルバーの瞳は袋のネズミならぬウサギを映し、楽しくて仕方ないと言った様子だ。
 その背後には、椅子に座ったまま目を丸くしているミチュの姿があった。
 ノクノは色を失ってステリイに詰め寄った。
「ミチュは……ミチュは退学になっちゃうんですか?」
「アッハッハッ、まさか!」
 笑うステリィに、ノクノは思わず拍子抜けしてしまった。
「そうなんだ……」
「あぁ。今後どうやってみんなをアッと言わせるか、二人で作戦会議をしてたんだよ」
「そうそう!」
 ステリィとミチュはイタズラを企む悪ガキのようにニヒヒと笑う。
 ノクノはホッと胸を撫でおろした。
「じゃあ、テストの点数が悪いと退学になるって噂は嘘だったんですね」
「あぁ、それは——」
 ステリィが笑いながら言いかけたそのときだった。
「“真実”だ」
 重々しい声がどこからか響き、振り返ると廊下の曲がり角から一人の女が姿を現した。
 人間(ヒューマン)で言えば30歳そこそこに見える彼女はトカゲのワービーストで、立派な尻尾を持っている。深い緑色の髪をきっちりとシニョンに結い上げているその姿は、まさに厳格な教師そのものの佇まいだった。
 その厳しさによって一年生から活動中のアイドルまで震え上がる彼女こそ——
「あっ、デスファンブル先生!」
 ミチュが明るく手を振る。ステリィは「うわ、出たよ……」と苦い顔だ。
 デスファンブルはステリィを一瞥してから生徒たちを見渡した。
「我らがリリカルモナステリオは世界最高の学園都市。その維持のためには風紀の乱れは許されない——“身なり”」
 デスファンブルはほどけていたメディエールの髪のリボンをキュッと結び、
「——“品行”」
 光の欠片に捕えられた状態のまま腰が引けているハーゼリットをシャンと立たせ、やがてジロリとミチュを見た。
「——そして“成績”」
 ステリィがデスファンブルとミチュの間に割って入る。
「はいはい、御高説どうも。ご指摘いただかなくてもうちのクラスはみんな優秀ですから、お帰りくださーい」
 ステリィはシッシッと野良魔獣でも追い払う仕草をする。
「……お前は相変わらず失礼千万だな」
 睨み合い、険悪なムードになる教師二人のやりとりを聞きながら、ミチュとノクノは小声で囁き合った。
(ステリィ先生とデスファンブル先生って仲悪いんだ?)
 そう言ったのはミチュ。
(うん、しょっちゅう喧嘩してるって聞いたことがあるけど……)
 そう答えたのはノクノだ。
 ステリィが柔ならデスファンブルは剛。ステリィが右と言えばデスファンブルは左。性質の違う二人はことあるごとに意見を対立させているのだともっぱらの評判だった。
「私は学園の基準に満たない者には厳しい“制裁パニッシュメント”も必要と考えている」
 不意にデスファンブルは声をグッと低くした。
「……50位、ミチュ」
「ッ!」
 突然出た自分の名前に、ミチュは背筋をピシッと立てた。
「私は入学資格に問題があったと考える。近年の入学者の中でも群を抜いて成績が劣り、不注意による器物破損も多く——」
「“静かにcalmato”」
 ステリィのタクトが瞬き、魔法によってデスファンブルの口をグイッと閉じた。
「それ、今、ここで・・・する話かな?」
 デスファンブルも首元のトゲを逆立て、細長い瞳孔をさらに細くする。
「そのつもりで来ている。今期の入学試験の責任者は誰だったか、記憶はおありかな? ——私だ。そして彼女を推したのは君だったな、ステリィ教諭」
「アワワワワ」
 予想以上に深刻な空気に、ミチュはステリィとデスファンブルを交互に見て口を挟めずにいる。もちろんノクノをはじめとするステリィクラスの生徒たちもだ。
 ステリィとデスファンブルは至近距離で睨み合い、バチバチと火花を散らしていたが、やがてデスファンブルが「ふぅー……」と深い息を吐いた。
「……では、お前は彼女が我が学園に在籍するにふさわしい能力を有すると」
「くどいな」
「では、見せてもらおう」
 デスファンブルはアワアワと震えているミチュを、その冷酷な瞳で見下ろした。
「バトロイドのミチュ。ブルーム・フェスへのクラス選考で、私の納得する結果を出しなさい。さもなければ——」
 あたかも死刑宣告のようにデスファンブルは告げたのだった。

「退学処分も覚悟してもらう」

      *

 ブルーム・フェス——秋の文化祭で行われる特別なオーディションのことをそう呼ぶ。参加者はリリカルモナステリオの生徒だけでなく様々で、優勝者は歴史あるトロフィーを手にすることができる。そのトロフィーには『優勝者の願いを何でも叶えてくれる』というジンクスがあるとか……
 教室の前方で教壇に両手を突きながら、ステリィは朗らかに言った。
「このクラスからも1グループ、フェスに参加してもらうよ! 新入生は1クラス1グループ、これは昔からの伝統でね」
 ざわめく教室を見渡し、うんうん、とステリィは楽しげだ。
「踊りも曲も演出も自由! クラスの投票で一番だったペアに出てもらうからな」
「ハイ!」
 と、クラスメイトの一人が挙手する。
「メンバーは自由ですか?」
「どうしようかな……そうだ、寮友のペアはどうかな? それなら練習の時間も取りやすいしさ。うん、そうしよう。決まり!」
 ステリィはタクトをピンと立てながらウンウンと頷いた。
「選考は夏休み明けてすぐだ。教師は どうせ夏休みなしで詰めてるから、やる気があるペアは私をどんどん使って欲しい。じゃ、解散!」

 ミチュとノクノの部屋には、ベッドとデスクとキャビネットがそれぞれ一台ずつ置かれていた。
 ドアから入って左方がミチュ、右方がノクノのスペースだ。
 ミチュのデスクの横には木箱が置かれ、磨かれた花火玉や砲弾が入っている。ベッドはガトリングガンのサイズを考慮してやや大きめで、そこから薄い毛布が半分床に落ち、脱いだ服もあちこちに散らばっていた。
 ノクノのデスクには予習復習で使ったテキストが生真面目に積まれ、壁には綺麗にクリーニングされた空色のドレスが掛けられていた。ベッドシーツは毎朝取り替えられているのか、皺なくピンと張っている。
 部屋に帰ってきたミチュとノクノは深刻な表情で額を寄せ合った。
「退学……退学って、学校を辞めなきゃいけないってことだよね……?」
 ミチュの言葉にノクノは深く頷いて、
「そんなの絶対に嫌。頑張ろうね、ミチュ」
「うん!」
 ミチュも決意の表情でグッとこぶしを作った。
 夏休みは二週間。それがあけたらクラス全員の前で発表があり、もしそのパフォーマンスでデスファンブルを満足させられなければ……
(——させない)
 ノクノの瞳に、いつもとは違う意思の炎がメラメラと燃えていた。
「じゃあ、まずは曲をどうするか決めなきゃね」
 ノクノが言うと、待ってましたとばかりにミチュが身を乗り出した。
「ね、ね、あの曲にしよ、ノクノの大好きな——」
「ダメ」
 被せるノクノの語勢は強い。
「今の私たちじゃ、まだまだ実力不足だもの。背伸びで終わっちゃうよ。もっとピッタリな曲があるはず……」
 授業で習った曲、最近流行の曲、色々案を出してはみたけれど、どうもしっくりこない。
 万策尽きたところで、ノクノははたと手を打った。
「——そうだ」

 朝ということもあるのだろうか。夏休みに入ったばかりの図書室は、テスト期間中の賑わいが嘘のようにシンと静まりかえっていた。
 ここには本だけではなく映像資料も数多く収められており、珍しい動植物の動画から有名アイドルのライブ映像まで幅広い。
 生徒たちは自習室として図書室を使うことが多かったが、ノクノはルーテシアが熱く語っていたこと思い出したのだった。
 年月を感じさせる木造のブックシェルフは見上げるほど高く、古びた本が美しく分類されている。二人が歩いている横を、司書のシルフが両手に本を抱えて飛んでいった。
 ミチュはファ~とあくびをひとつ。
「こんなに静かだと、眠くなっちゃうね」
(ミチュ、しーっ)
(はっ!)
 とミチュは開いた口をパッと手で塞いだ。
 大量の資料が収められた図書室は広く、二人はしばらく迷った末に目当ての書架に辿り着いた。ノクノはそこにズラリと並んだ樹脂ケースを指す。
(これだね)
 資料を山のように抱えて二人が辿り着いたのは、“映像室”と書かれた防音室で、狭い空間に数人がけのソファと液晶モニターが置かれている。そこでは図書室内にある記録媒体ディスクを再生することができた。
 記録媒体ディスクを吸い込ませると、液晶モニターに表示されたのは“第一回リリカルモナステリオ ブルーム・フェス”の文字。
 そう、これは過去のブルーム・フェスの様子を収録した記録媒体ディスク。二人は過去にフェスへ参加した一年生たちからアイディアを得ようと考えたのだった。
「よーし!」
 ミチュは気合いをいれ、Tシャツの半袖をグイッとまくり上げた。
 やがて映像が再生され——
「ほわぁ~」
 とミチュ。
「——……」
 口を薄く開け言葉さえ出ないのがノクノ。
 最初の5年分を見終わったタイミングで、ミチュが目を輝かせながら言った。
「みんなすっごいね!」
「うん……」
 まだまだアイドルの卵とはいえ、クラスの代表として出たペアなのだからレベルが高いのも当然だった。歌もダンスも二人の目を惹きつけて放さない魅力に満ちている。
 ミチュの退学を回避するためには自分たちもこんなステージを……?
 ノクノは祈るように小さく手を組む。
「ほんとにできるのかな……」
「わたしたちなら、もっともーっとすごいのできちゃうよ!」
 ネガティブなノクノの台詞とポジティブなミチュの台詞が重なる。
 ノクノはちょっと呆気にとられ、唇をぎゅっと引き結んだ。
「——うん!」
 姿勢を正して再び画面に視線を向けると、ちょうど前のペアが終わって次の一年生ペアがステージに立ったところだった。
 ふたりの白いチュールレースの衣装には繊細な星の刺繍が施されおり、雪降る夜空のようだった。ドレスの裾にほどこされた金色のパイピングテープがキラリと光った。
 ひとりは深い緑のウェーブヘアをなびかせるワービースト。もうひとりは人間(ヒューマン)で、濃紺の髪のなか幾筋も流れる銀髪が天の川のようだ。前髪がふわりと揺れて、長い睫毛に囲まれたシルバーの瞳がスポットライトに輝いた。
 ふと、彼女をどこかで見たことがある気がしてノクノは目を眇めた。脳裏によぎった顔に「えっ」と声を上げる。
「ステリィ先生……?」
 ミチュも同じく目を眇め、
「うぇっ……?! ——本当だ!」
 ステージ上のステリィは十三、四歳といったところだろうか。その丸い頬はあどけなく、今のユーモラスだが頼もしい姿とは異なっている。けれど一等星のように光るシルバーの瞳は今も昔も変わらなかった。
 会場ではアナウンスが響いている。
『——ふたりは一年生のペアです。ユニット名は“くじ運最悪バッド・ラック”……ふたりは寮友だそうですが、部屋決めのくじを指しているのでしょうか? 曲は“星灯りのマーチ”。オリジナル曲だそうです』
 星屑のような鉄琴のフェイドインから爽やかにスタート……と思いきや一転、エレクトロニックサウンドが弾け、ふたりはジャンプしながら片手同士でハイタッチする。
『——ハイ!』
 アップテンポでハイテンションな音楽にあわせ、少女たちの白い素足が軽やかにステップを踏む。汗が散りミラーボールよりなお輝く。
“このステージが楽しくて楽しくて仕方ない!”——言葉以上に雄弁に語る、ステリィの笑顔。対してもう一人の少女は余裕がないのか表情が硬い。
 すると、ステリィが緊張する少女の手をグイッと引っ張った。少女は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐにステリィの意図を察し、ふたりはひとつのマイクで歌い出す。
 少女の顔には理知的な笑顔が咲いて——
 こちらも見覚えがある気がしてノクノは考えこみ、やがて呟く。
「……デスファンブル先生?」
「ほわっ?!」
 突然の恐ろしい名前にミチュの身体が跳ねる。
 液晶モニターではワービーストの少女が軽やかにトカゲの尾を振ってダンスしている。年齢は違っても、強烈な“デスファンブル制裁”を繰り出すその尾を見間違えるはずがなかった。
「ほんとだ。先生たちって寮友だったんだね!」
 おそらくアドリブなのだろう。ステリィが予想外のステップを踏むと、デスファンブルが“仕方ないな”というようにステップを合わせる。
 荒削りだが、二人が楽しんでいるのが伝わってきて、見ているこちらまで踊りだしたくなってしまう、そんなステージだった。
 “星灯りのマーチ”が終わり、晴れやかな表情でふたりが一礼すると、ミチュとノクノはパチパチと力いっぱい拍手を送っていた。
 ミチュは勢いよく身を乗り出してノクノの肩を揺さぶった。
「で、で、先生たちの結果はどうだったの? 優勝?」
「ま、待って待って、調べてみるから」
 ノクノは携帯端末の液晶をタップして検索をかける。この年のブルーム・フェスの結果は——
「えっと……“一年生ペアはオリジナル曲・星灯りのマーチを披露。息の合ったパフォーマンスで会場を沸かせた。楽曲を作ったステリィはベスト楽曲賞を受賞”だって」
「ほへぇ、ステリィ先生って合唱だけじゃなくて、あんなにすてきな曲も作れちゃうんだ!」
「……え?」
 ノクノは思わず自分の耳を疑ってしまった。
「だって“星灯りの指揮者ステリィ”だよ?」
「うん、知ってるよ。もちろん!」
 朗らかなミチュの反応に、これはわかっていないやつだとノクノは察した。
 すぐに携帯端末で“星灯りの指揮者ステリィ”と検索をかけて読み上げる。
「“星灯りの指揮者ステリィ——天輪聖紀の音楽家のうち、最も偉大な指揮者であり作曲家の一人。リリカルモナステリオ在学中から頭角を現し、テクニカルでありながら既存の枠に囚われない指揮は他の追随を許さない”——すっごい人なんだから!」
 そうそうたる顔ぶれのリリカルモナステリオの教諭陣の中でも、知名度において際だっているのが彼女だ。ノクノが最初に担任として“ステリィ”の名前を見たとき、何かの間違いではないかと思ったほどだった。
「ほぇ。じゃ、デスファンブル先生も凄い人なの?」
「えっと……“デスファンブル”と」
 再び携帯端末で検索する。しかし同名の別人が最初にヒットとして、なかなか目当ての情報にいきつかない。
 スクロールして、ようやく『伝統旋法体系』の著者ページがヒットした。
「これかな……? “リリカルモナステリオ特任教授。グレートネイチャー総合大学名誉教授。グレートネイチャー総合大学楽理専攻科修了、音楽博士”だって」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
「ステリィ先生とアイドルになったんじゃないの?」
「言ったでしょ、リリカルモナステリオの生徒がみんなアイドルになるわけじゃないって。デスファンブル先生は学園を卒業して音楽博士になったんだよ」
「でも、あんなに楽しそうだったのに……」
 一時停止した画面では、笑顔のステリィとデスファンブルが観客の喝采を浴びている。
 けれどこれは二十年も前のことなのだ。
 ミチュは納得できない様子でむくれていたが「良いこと思いついちゃった!」と突然目を輝かせた。
「この曲やろうよ! “星灯りのマーチ”! ノクノが歌ったら絶対に最高になるもん!」
「えっ、」
 反射で首を横に振りそうになるのを止めて、ノクノは唇に指を当てて考え込んだ。
「いいのかも……曲はポップでステキだし、ダンスの見せ場もミチュにピッタリだった……」
 ノクノは顔をあげる。ワクワクでいっぱいのミチュと視線が交差して——
 パン! と二人はハイタッチした。
『やろう!』
 そうと決まれば善は急げ!

「——ステリィ先生!」
 ミチュがノックもそこそこに研究室に飛び込むと、ステリィは譜面台を動かそうとしているところだった。
「おわっ!」
 勢いに驚いたステリィがよろめき、慌ててノクノが支えた。どうにかバランスを取ったステリィはふたりの姿を認めて朗らかに笑う。
「さっそく来たな、問題児! ご用件をどうぞ」
 かくかくしかじか、ふたりが思いを伝えるとステリィはやや面食らった様子だった。
「——“星灯りのマーチ”をやりたい?」
 ミチュは「うんうん」と何度も首を縦に振り、ノクノは祈るように手を組んだ。
「はい。先生がブルーム・フェスに出演された映像を拝見して……すてきでした」
「すごかった-!」
「それで、よければやらせて欲しいと思ったんです」
 ブルーム・フェス……? とステリィは数瞬思考を巡らせて、すぐに合点したようだ。
「ってことはアレか! 懐かしいなぁ。いいよいいよ、もちろん!」
 快諾にミチュとノクノはパッと表情を明るくした。
「ありがとう先生!」
「ありがとうございます! それでよかったら……」
 言いづらそうにするノクノの髪を「何なりと」とステリィが撫でる。
「練習用の音源や楽譜が残っていればお借りしたいんです」
「もちろん! 待ってなね」
 ステリィはふと顎に手をあてて考え込んだ。
「あ、でもデスファンブルセンセが何か言うかな……ま、いいか!」
 朗らかにピンとタクトを立てるステリィと反対に、ノクノは表情を曇らせた。
「本当に大丈夫ですか……?」
「アハハ」
「先生、適当だよぉ」
 不安になるミチュとノクノをよそに、ステリィは本や書類が詰まった本棚をしばらくゴソゴソやっていたが、間もなくファイルに入った紙束を差し出した。
「はい、どうぞ。音源はあとで送っておくね」
 ファイルを開くと、年月を感じさせる煤けた紙に音符が書き殴られている。
「これ……もしかして自筆譜ですか?」
「そうだよ。私、手書き派」
「すごい……!」
 これが“星灯りの指揮者ステリィ”の自筆譜。
 その貴重さもさることながら、何より驚愕に値するのは二十年も前の楽譜がすぐに出てきたことだ。きっとステリィにとって、楽曲はすべて自分の子どものような物で、ひとつひとつを慈しんでいるのだろう。
 ノクノは古い手紙を読むように五線譜を目で辿っていく。
 ミチュはステリィの前でガッツポーズした。
「先生、お礼に何かさせて! 力仕事なら大得意だもん」
「助かるよ! じゃあ譜面台を第三音楽室まで運んでもらおうかな。午後一の補講で使うんだ」
「りょーかい! 行ってきまーす!」
 ミチュが研究室のドアを閉めたのとほぼ同時に、楽譜を確認していたノクノの手が止まった。
「あれ、一枚……ううん二枚足りない……?」
「うそ」
 楽譜に振られたページ番号のうち二枚が飛んでいるところを見せると、ステリィはバツが悪そうな表情になった。
「あー……もしかしたらデスファンブルセンセに渡したままかも……さすがに残ってないか。ごめんね」
 二十年前だしさ、とステリィは呟く。
「…………」
 ノクノは楽譜に視線を落としながらしばらく逡巡していたが、やがて決意の瞳で前を見た。
「——私、デスファンブル先生のところに行ってきます」

 デスファンブルの研究室はステリィの研究室からは真反対に位置している。デザインもモダンでポップな印象のステリィのものとは真反対で、歴史あるオペラハウスをそのまま一室に納めたような荘厳な外観だった。
 多くの種族に配慮された木造扉は、ノクノからは見上げるほど大きい。くすんだ真鍮のドアノッカーを両手で掲げ、コーンコーンとノックした。
 ギギギィ……
 厳かに軋みながら扉が開き、ノクノは足を踏み入れる。
 研究室の壁はすべて本棚になっていて、隙間なく並べられた本からであろう古びた紙の香りが満ちている。大きなシャンデリアが輝く部屋の中央には、コントラバスやハープが置かれ、艶やかなグランドピアノにデスファンブルが腰かけていた。
「何か御用かな」
「あ、のっ……」
 デスファンブルの威圧感に、声が喉に詰まって上手く出てこない。焦るとさらに喉が締められたようになって、不格好な音が漏れるだけだ。
 デスファンブルは静かにノクノの言葉を待っていたが、やがて助け船を出すようにこう言った。
「ノクノさん、クラスオーディションのペアはもう決まったかな」
「は、はい! あの……ステリィ先生が寮友で組むようにっておっしゃって、ミチュと」
「——それはそれは。あなたもくじ運に恵まれなかったな」
 デスファンブルはピアノから立ち上がり、カツッカツッと靴音を厳粛に響かせながらノクノへと歩み寄ってくる。
「ノクノさん、あなたはテストの結果を気に病むことはない」
「——えっ?」
 あれだけミチュを脅したデスファンブルの台詞とは思えず、ノクノは驚いた。
「あなたの本来持つ力は優れている。それを無視するほど私は浅慮ではないつもりだ」
「そんな、力なんて……」
 自分にあると思えない。
 自信なさげなノクノの居ずまいに、「あぁ」とデスファンブルは小さく頷いて、
「座学では名前の記入忘れによる0点が一教科、大幅減点の回答欄ずらしが二教科。もちろん不注意によるミスは褒められることではないがね。実技も初日の負傷が響いたと聞いている」
「はい……」
「ダンスも歌も、課題はあるがこれから伸びる才能を秘めていると私は認識している。努力次第ではトップレベルになる可能性も」
「あ、ありがとうございます!」
「だからこそ、才能の無い者彼女に翻弄されてノクノさんまで駄目になって欲しくないと思っている」
「——っ」
 ノクノは言葉を失う。
「アイドルは交響曲シンフォニーだ。優れた奏者がどれだけ優れた音を奏でても、たったひとつの壊れたバイオリンで台無しになる。どれだけ恨まれようと、不良品は排除する必要がある。もちろんアイドル以外を目指すのならばまだ道は開けるかもしれないが」
「それが、ミチュを退学にしたい理由ですか」
「いかにも」
 デスファンブルは自分が正論を言っているのだと疑わない、巌のような佇まいだった。
 それに比べ、ノクノは岩に砕ける水しぶきのように弱い。だというのに我を忘れて声をあげていた。
「——ミチュはガラクタじゃありません!」
 息が詰まる、声音が震える。しかし心はさらに熱を帯びていく。
 寮友で組むようにと言われなくたって、ノクノはミチュを選んでいた。それは息をするように当然のことだった。ミチュもきっとそうだとノクノは信じている。
「私は、ミチュとふたりでアイドルになります。ミチュが、いいんです」
「——そう、残念だ」
「失礼します!」
 ノクノは勢い任せにお辞儀して、くるりと身を翻した。
 足早に研究室を出て行くノクノの背を、デスファンブルは凪いだ瞳で見つめていた。