ステリィとケイオスがいるのは客席の一角に設けられた解説ブースのようで、二人は長テーブルに並んで座っている。
横からにゅっとステリィはカメラの画角に入ってきて、ケイオスの腕を肘で無邪気につついた。
『ケイオスさんはブルーム・フェスの発案メンバーですが、私がプリティガールだった時から見た目はこんな感じです。どんな美容法を使っているのか気になるところですね！』
ケイオスは口元に指を持っていって、フムとしばし考え込むと、
『早寝早起き適度な運動、ナウでヤングな好奇心を忘れないこと……かな？』
『はい、田舎のお爺ちゃんみたいな答えを頂いたところで、それでは他の審査員の方々を紹介して行きましょう！ どうぞ！』
ステリィの合図でカメラが切り替わり、映ったのはドーム内に存在するガラス張りのVIPルームだった。窓からアリーナの様子を一望できる個室の中で、黒革張りの肘つき椅子から、子どものように身を乗り出している女がいる。
タマユラである。
陽光色の瞳をキラキラと輝かせていたところを背後に控えているリリミにトントンと肩を叩かれ、ようやくタマユラはカメラに抜かれていることに気づき、ハッと大急ぎで居住まいを正した。
解説席から審査員席はほど近いのだろう。マイクを持ったステリィがバーン！ と扉を開けて入ってきて、カメラに向かいタマユラを手で指し示した。
『ブルーム・フェスは個性豊かな審査員の方々がいらっしゃることでお馴染みですが、今回の審査員はこちら！ ドラゴンエンパイアからお越しいただきました、タマユラ様です！ かの有名な“天上天狐”の代表——つまりドラゴンエンパイアの百鬼夜行を統べている大妖怪の一角！ こんな機会がなければ尊顔を拝することもできません』
過剰とも言える誉め言葉に耐えきれなったタマユラは俯き、手にした扇で顔を隠しつつ、翡翠が触れあうような密やかな声を漏らす。
『こ、このたびは……お呼びくださりありがとうございます。あいどるの皆さんの活躍、心から楽しみです』
ワァアァァ！ という大歓声を受け、扇からわずかに見えるタマユラの耳は淡く染まってしまった。
マイクを手にしたステリィは力強く拳を作り、
『そしてこの人！ 皆さんもCMなどで一度は顔を見たことがあるでしょう——』
意味深なタメがあり、やがてドームのそこかしこに設置されたスピーカーから、フロアが揺らぐほどの大音量が響き渡った。
『あぁ地より出でて天に聳える偉大なる建造物よ。新時代の拳となりて世界の敵を倒せっ！ 爆誕、ブリッツインダストリー！』
ドッカーン！ チュッドーン！
ド派手な爆発音が響き渡り、観客ほとんどが「あぁ、あれか……」という顔になった。なにせ親の顔より見たCMの音声だったからだ。
『“犬小屋から軌道エレベーターまで”！ その名は宇宙にまで轟くブリッツ・インダストリー、ヴェルストラCEOです！』
そう、審査員として招かれたのはタマユラだけではなかったのだ。
キャアァアァ！ という歓声（ただしそのほとんどが女性の黄色い声）を受け、カメラに映ったヴェルストラは椅子の上で足を組みつつ、不遜に笑った。
『やあ、どーも。こんな素敵なフェスに呼んでもらえて光栄だね』
ブリッツ・インダストリーはブラントゲートのセントラルドームに本社を置く大企業で、世界各地に支社や工場、補修施設がある。その製品は生活必需品から娯楽、軍需用までと幅広く、ミチュが日々手入れをする花火玉の中にもブリッツ製の物が少なくない。
そのようにブリッツ・インダストリーは高い技術力と企画力を持つが、それを可能にしているのは惑星クレイ中の天才が集まると言われる社員たち頭脳と、このヴェルストラCEOの才覚だった。
「破壊と再生」をモットーとする彼の企画によって、破壊力過多な兵器が開発されるのと同時に、破壊された「ギャロウズボール」や「ノヴァグラップル」の競技場の補修も完璧に行われる。
彼の企画力と頭脳こそ、ブラントゲートの工業力の象徴とも言えるだろう。
『CEOお忙しい中、ありがとうございます！』
ステリィがマイクを差し出すと、その手をヴェルストラがぎゅっと握った。
『当代一の指揮者として名高い、麗しの“星灯りのステリィ”に呼ばれて断る男はいないだろう？ 実際に見ると、広報写真とは比べものにならないぐらい美人だな」
そう言ってヴェルストラはキザにウインクをひとつ。もちろん大スクリーンに映っている。
今度は黄色い歓声などなく、観客のほとんどが「またいつもの悪癖か……」と白けた表情になった。
ブリッツ・インダストリーCEO、ヴェルストラ。
顔良し、頭良し、もちろん莫大な金だって持っている。彼を「すべてを持つ男」と呼ぶ者もいるかもしれないが——大いなる欠点がひとつ。女性と見れば熱心に口説かずにはいられない軟派な性格はあまりにも有名で悪名高かった。
『さすがヴェルストラCEO、リップサービスも他の追随を許さない！』
ステリィは容赦なくヴェルストラの手を振り払ってマイクを引き戻しつつ、ガラス窓から視線をアリーナへと向けた。
『ではいよいよ、新芽たちの入場です！』
ステリィがタクトを振ると、それを合図にして待機していた楽団が強烈なファンファーレを吹き鳴らした。金管の爽やかな音が、青く澄み渡るリリカルモナステリオの空へまっすぐに伸びていく。
思わず背筋がピンと伸ばしながら、観客席に取り囲まれたアリーナに、フェス参加者——咲くのを待つことから新芽と呼ばれる——がいくつかの列になって入場してきた。
スプリング・ドームは全天候型のスタジアムで、低いアリーナを丸く囲むように階段状に座席が配置されている。開閉式の天井は開け放たれ、雲ひとつない空が広がり、清らかな陽光で少女たちを照らしている。
アリーナは本来であればライブのためにステージや客席、そのほか機材が設置されているはずだが、今はすべて撤去され、ただ人工芝のフロアがだだっ広く広がっている。
その上を新芽の少女たちは緊張の面持ちで歩いて行く。
“ブルーム・フェス”がデビュー前のデュオを参加条件としているだけあり、繕った笑顔も一様に緊張で強ばっていたが、その中で一等を決めるとすれば——もちろんノクノだった。
「……っ、……！」
会場に入るなり篠突く雨のような歓声に迎えられ、ノクノの思考は一瞬でフリーズしてしまった。
どうにか前を行く少女たちについて行きつつも、その動きは錆びついたワーカロイドよりもさらにぎこちない。
ギギギ、ギギギギッ！
ノクノの隣を歩いているミチュが、こそこそと耳打ちした。
「ノクノ、ノクノ、手と足、同じ方に出ちゃってるよ？」
「う、うん……！ 手と足！ 手と足ってこうだよね、こう出せばいいよね……っ？！」
ギギ、ガチン、ガチン！
ぎこちないながらも、どうにか手足の左右を直したノクノ。しかしその耳に、ゴゴゴゴゴ、というエンジン音が聞こえてきた。
「……？」
不思議に思って傍らを見れば、ミチュの足元からは地響きのような音と共に白い排気ガスがもうもうと漏れてきている。
「ミチュもエンジンの音、いつもより大きい気がするけど……」
「そ、そうかなぁ……？ アハ、アハハ、気のせいだよ！」
照れ隠しのように、ミチュの耳からもポポポ、と煙が出た。
そわそわと浮き足立ってしまうのは、場の空気に飲まれてしまっていることがひとつと——この日のための衣装が、特別な気分をより一層盛り上げていることが大きかった。
二人が纏っているのは、薄紅から水縹色へグラデーションになった生地で仕立てられたミニワンピースドレスだ。スカートの腰部分には薄い層雲のようにヴェールが広がり、まるで神秘的な朝焼けのようだった。
春桜色のミチュ、晴れた浅瀬色のノクノ……どちらの髪と瞳にも似合う衣装に悩んだ末、ノクノは白い綿ブロードをグラデーションに染め上げた。さすがのノクノも染め物は初めてで、何度も失敗を繰り返し、ようやく納得がいく物ができあがったのがこの一着だ。
たくさん作った衣装のなかでも特別思い入れがあるものを纏ったことで、ノクノとミチュの緊張もひとしおだった。
ミチュとノクノがギクシャクとアリーナの中央へと進む中、VIPルームから解説者席に戻ったステリィは朗々たる声を響かせる。
『彼女たちはリリカルモナステリオの二年次までのクラスからひと組ずつ選ばれた代表者たちです！ まだまだデビュー前のフレッシュな魅力に溢れていますね。どのペアもそれぞれ工夫を凝らしたヘアメイクと衣装で、見ているだけで胸が弾む光景ですが……ムッ！ おや、一際目を引くペアが居ますね。エントリーナンバー７番、“Blue Dream ”！』
突然自分たちのユニット名を呼ばれ、ノクノとミチュの肩がビクッと跳ねた。
「っ……」
恐る恐る顔を上げたノクノは、大モニターに映されていることに気づき慌てて顔を伏せた。
「わ～センセ～！」
反対にミチュは満面の笑顔でブンブンと解説者席がある方へ手を振っている。
『バトロイドのミチュとマーメイドのノクノが組んだ“Blue Dream”はワタクシステリィ一押しの期待の新人です。見所は新入生らしく元気いっぱいのダンスと歌！ ブルーム・フェスというこの大きな舞台で、皆さんの目を釘付けにすること間違いなし！』
あからさまな贔屓に、ノクノは顔を伏せたまま上げられない。首筋から耳まで真っ赤に染め、消え入りそうな声で呻く。
「う、うぅぅ……恥ずかしいよ……」
「ウンウン、センセー絶好調～！」
ミチュの方はいつもと変わらず破天荒なステリィに緊張がほぐれた様子で、ポポポと出ていた排気は収まっていく。
それが見えたのだろうか。大モニターに映るステリィはニッと笑い、さらに勢いを増していく。
『ユニット名の“Blue Dream”は、このリリカルモナステリオの澄み渡る空をイメージして付けたそうです。まさに二人の可能性は青天井、果て知らず——』
と、いよいよ立て板に水に手がつけられなくなってきたそのとき、突然大モニターが暗転し『バチンッ！』という破壊的な音をマイクが拾う。それはまるで平手か何かで思い切りビンタしたような音で——『いっだぁっ！』というステリィの声が重なった。
「え、えっ、どうしたのかな……？」
「ううん、わからないよ」
困惑するミチュに、ノクノも首をふるふると横に振る。
何が起こったのだろう。暗転する直前、緑色のトカゲ尻尾が物凄いスピードで駆けたのが見えたのは気のせいだろうか……？
——ゴトン、バタン！
五秒ほどドタバタという音をマイクが拾い、沈黙がおり、やがて真面目くさったステリィの声がした。
『ゴホンッ。え、えー……失礼しました。どうやら電波の調子が悪かったようですね』
大モニターがつき、そこに映ったステリィの左頬には、うろこ模様の大きな痕がありありと残っていた。
リリカルモナステリオの生徒にとっては実に馴染みのある“デスファンブル制裁”の痕だ。
「アチャー……」
「ステリィ先生……」
ノクノとミチュは呆れた声を重ねてしまった。
ん、ん゛んんっ！ とステリィは喉を鳴らし、何事もなかったかのように解説を再開する。
『もちろんこのフェスに参加するのは、リリカルモナステリオの生徒だけではありません。皆さんご存知の通り、ブルーム・フェスは我がリリカルモナステリオにおいても特殊な立ち位置だからです。ご覧ください！』
大モニターが切り替わり、アリーナに出てきた参加者を映し出す。
例えば、いかにも休暇をとって来ましたといった雰囲気の白衣姿のエンジェルの少女や、騎士見習いなのか薄く筋肉がついたヒューマンの少女などなど。明らかにリリカルモナステリオでアイドルを目指している少女たちとは雰囲気の異なる参加者たちばかりだ。
『このフェスでは一般の参加者を受け付けているのです。まさに一攫千金、一夜大尽、下剋上！ どんなパフォーマンスが見られるのか楽しみですね』
参加者たちへと次々にカメラが向けられ、ついに映ったのはノクノたちの後ろを歩くロロワとラディリナだった。
ロロワが身につけているのは、泥棒猫たちを追いかけたときの簡素なワンピースではない。
泥棒猫と傘詐欺の騒動によってワンピースを汚してしまったロロワだったが、体格がさほど変わらないことが幸いとなり、ラディリナと二人でノクノが選びきれなかった衣装を直して着ることになったのだった。
ラディリナは彼女の髪や瞳の色によく似合う紅梅色のミニワンピース、ロロワは花のがく片を思わせるような緑色のドレスジャケットワンピースというスタイルだ。
二着とも可愛らしいミニスカートながら、レースたっぷりのパニエを入れたことによって、激しいダンスに適した仕立てになっているのがノクノのこだわりだった。
もちろん、元はミチュとノクノ自身が着るためにデザインした衣装なので、他人に着てもらうなんて想定していなかった。
二人に予備の衣装を着てもらう——それしか方法がないと理解しつつも、ノクノは不安を抱いた。
ラディリナさんとロロワさん、私が作ったドレスを着るなんて、嫌じゃないかな……だって二人が元々着てたワンピースはずっとシンプルだったし、二人はその方が好みだったんじゃ……
しかしそれはすぐに杞憂に終わった。
フェスが始まる直前、四人は広場からスプリング・ドームに準備された更衣室に駆け込んだ。そこでドラゴンエンパイア風の服を脱ぎ、新たな衣装に着替えたラディリナは、しばらく気恥ずかしそうに手足をもじもじとさせていた。
「に、似合うかしら……？」
そこに泥棒猫たちを追い詰めたときの勇猛果敢さは跡形もなく、初めてブティックに足を踏み入れた幼子のようだった。
「カワイイ！ すっごくカワイイ！」
ミチュに手放しで褒められて、ようやくラディリナは不安げな緊張を解き、金平糖をこぼすように笑いさざめいたのだった。
そうして衣装を纏ったラディリナとロロワは今、ドームいっぱいの大歓声にも怯んでいない様子だった。
二人ともアイドル経験がない一般参加者なのにすごい……！ とノクノは内心びっくりしてしまう。
しかしどうやら二人には、大観衆の熱視線に緊張することよりも先に気になるものがあるようだ。
「あ、あいつ……！」
「何してるんだあの人……」
ラディリナは憎々しげに、ロロワもハハハと乾いた苦笑を浮かべて——二人が凝視しているのは、ステリィと共に大モニターのワイプに映っているケイオスだった。
それは見知らぬ相手に向ける反応ではなく、ミチュはグリンッと首を二人の方に向ける。
「あの迷子のおじさん、ラディとロロワのお知り合いなの？」
「知り合いじゃないわ」
ラディリナはまるで剣で斬りつけるような鋭さで答えた。
「あんなの視界に入れるのも無駄。さぁ進んで」
前へと促すラディリナに「う、うん」とミチュは頷きつつ前を向き、ステリィの映る大モニターを見る。
『初々しいデビュー前の新入生たち、普段は見られない個性的な一般参加者、そして最後に——ブルーム・フェスを特別にしているのがこのトロフィ－です。皆さん、ご覧ください！』
ステリィのタクトに導かれ、ひときわ大きく金管楽器が鳴りわたる。
緊張の笑みを浮かべていた新芽たちの横顔から笑顔が落ちた瞬間、ゴゴゴゴゴ……と地鳴りのような音が響いた。
地震だろうか？
いや、違う。ここは空飛ぶクジラの上なのだから……
困惑する人々の視線の先で、アリーナの最奥が隆起し始め、どんどんと形を変えていった。
「え……っ？」
「なに……？」
突然のことに、少女たちは現れたものを見上げて口をぽかんと開けてしまった。
それはまるで天へと伸びる遥かなる塔だ。突如として十メートルはあろうかという石造りの建築物が聳え立ち、その頂点に銀色のゴブレットが現れたのだった。
『これこそ、ブルーム・フェスの象徴となるトロフィー“祈りの献花”！ 優勝者の願いを叶えてくれるトロフィーだ、なーんて噂を新芽の皆さんも聞いたことがあるでしょう！』
陽光を浴びてキラリと光っているのは、繊細な花が彫られた銀のゴブレットで、その中央には拳ほどの大きさの石が浮かんでいる。大観衆の視線が集まる中、神秘的なピンク色の石は、まるで轟々と燃え上がっているかのように鮮やかな光を放った。
「……っ」
ノクノは思わず息を飲んだが、そこに、重々しい沈黙とは裏腹なロロワとラディリナの絶叫が響いた。
『あれだ——っ！』
二人はやけに力のこもった手つきでトロフィーを指さしている。憧れのトロフィーに抱く想いはそれぞれ違って当然だが、まるで親の敵でも見つけたかのような二人の反応はやや異質なものように感じられた。
『本当に願いを叶えてくれるのか？ それは手にした優勝者だけが知る真実です。さぁ、今年はどんな新芽が花開くのか——ブルーム・フェス、スタートです！』