カードファイト!! ヴァンガード overDress 公式読み物サイト

小説

Novel
クレイ群雄譚(クロスエピック)

第3章 光さす墓碑

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第3章 2話 沈黙のモーダリオン

 ケテルサンクチュアリ——かつてユナイテッドサンクチュアリと呼ばれた神聖国家。
 過去にはブラスター・ブレードを筆頭に優れた騎士を輩出し、今なお天と地の騎士団により治安は維持されているという。
 しかしロロワの眠っていた3000年という年月はあまりにも長く、時間という無慈悲はこの神聖国家にも降りかかった。
 東西に国土を広げたドラゴンエンパイアとは真反対に、ケテルサンクチュアリは国土の縮小を余儀なくされた聞いている。
 その原因はひとつやふたつではなく、複雑で深刻な事情があるというが、ロロワの中のイメージは誇り高きユナイテッドサンクチュアリのままだ。
 かの地に降り立つということで、リップモ行きの期待で胸を膨らませていたロロワだったが——

「——ガハッ!」
 塩辛い海水を吐き出しながら、ロロワは砂浜に両手を突いた。しかしろくに力が入らず、そのまま肩から倒れ伏してしまう。
 ざぱぁっ、と背後で海が鳴って、腰まで波に襲われる。瀕死のロロワに対し、引いていく潮の方が強く、再び海に引きずり込まれてしまう。
 と、力なく投げ出した手首を掴むものがあった。砂まみれの顔を上げれば、ラディリナが歯を食いしばりながらロロワの腕を引いている。
「置いていくから、死んでるなら言いなさい」
「ぴぃっ!」
「む、無茶……っ!」
 ラディリナとモモッケの力を借り、どうにか波打ち際から砂浜に上がった。
 ここがリップモなのだろうか。海岸線が長く続くばかりで、他に人影がない。
 砂は真っ白で細かく、海は青く澄み切っている。こんな状況でなければ海水浴と洒落込んだかもしれないが、文字通り死ぬほど波に揉まれた今、到底そんな気になれなかった。
 木に背中を預けて座りこむと、震動でミカニに撃たれた胸が痛んだ。
「ゴホッ、ゴホゴホッ」
 血と海水混じりの咳が出る。
 ラディリナの手助けで濡れた上着を脱げば、醜く捻れた傷があらわになった。目を背けたくなるほど無惨だが、薄く皮膚が張っておりどうにか塞がってはいるようだ。
「前より酷いわね。オブスクデイトあいつに刺されたときは綺麗に治ったじゃない」
 ラディリナの言うとおり、トゥーリの街で受けた傷は一度完全に治っていた。ちょうどその上から銃弾を受けた形だ。
 前回同様の治癒力があれば瘡蓋さえ残さず治るはずだが……
「あの力は今はもうないんだ」
 あのとき、ロロワの身体の中にはふたつの力が存在した。
 オリヴィからロロワへの想いが結晶となった煌結晶の力と、ロロワ自身の生命力。
 煌結晶はエバたちに奪われたものの、その残滓によって一命は取り留められ、ロロワ自身の力で蘇生に成功した。
 オリヴィの力はもう存在しない。あのときのようにはいかないのだ。
「まぁ、それでも死なないのはさすがに丈夫ね」
 ラディリナも濡れた衣類を脱いで、肌着と短丈の下穿き姿になった。
 引き締まった腹を陽光にさらし、両手を腰に当ててあたりを睥睨する。
「綺麗な海……ここ、リップモからそう離れてないわね。人影はなし。助けを呼びたいけど民家も見えない。モモッケ、このあたり偵察してきてくれる?」
「ぴぃっ!」
 モモッケは勇ましく返事をして飛び立ち、ラディリナの服が乾くころに戻ってきた。
 胡座をかいたラディリナは、ロンググローブの砂を払いながらモモッケの報告に相槌を打つ。
「そう。15キロ先に貴族の私邸……別荘かしら? がいくつか。なら使用人はいる、医者はどうかしら。ロロワ、移動できる?」
「ように見える……?」
 木陰に横たわるロロワの体調は、この短時間でさらに悪化していた。
 捻れた傷口は赤黒く変色し、内出血というよりも無数の寄生虫が皮下で蠢いているかのようだった。
 おぞましさすら感じる暗赤色で思い出されるのは、ミカニの銃口だ。彼に向かって纏わりついた、羅刹の怨嗟のごとき赤——
 ただの傷でない。
「了解。食ってりゃ死なないわ。まずは腹ごなしね」
 ラディリナは剣を手にすっくと立ち上がった。
 何をするつもりかとロロワが顔を僅かにもたげれば、ラディリナはモモッケを伴い、ノシノシと海へと歩いていくのだった。
 間もなく、採れたての魚が山のように積まれた。
「モモッケ、そっち行ったわ!」
「ぴぃっ!」
「よしっ、次よ!」
 楽しげなラディリナとモモッケの声を聞きながら、横たわるロロワは魚の尾にビチビチと顔を打たれている。
 痛い。生臭い。
 明らかに必要以上の量だが、ラディリナとモモッケはロロワそっちのけで楽しくなってしまったようだ。いつまでたっても採集を切り上げる様子がない。
 死にかけのロロワを狙っているのだろうか、頭上の高いところでは、複数のカラスが不気味にカーカーと鳴きながら円を描いていた。
「食べても美味しくないですよ~」
 カーカー
「今は特にお腹壊しますよ~」
 カーカーカー
 無慈悲な鳴き声だけが返ってくる。
 ロロワがカラスの餌になりかけている頃——海に入って魚を採集しているラディリナたちにも転機が訪れていた。
 採集を始めて30分ほど、採れた魚は15㎝から30㎝程度の中型魚。
 もちろんそれでも十分食い出はあるが、あと一息大物を狙えないだろうか。
 予想以上に順調な採集で欲を出したラディリナが、澄んだ海に視線を走らせると、黒い影が海底を泳いでいくのが見えた。
 デカい。1メートルは優に超えている。
 素手で捕まえることはもちろん不可能、頭を狙って一発で仕留める!
 傍らを飛ぶモモッケと視線を交わし、巨大な黒い魚影を狙う。
 ラディリナの剣が陽光に煌めき、モモッケの喉奥で炎が燃える。二撃がひとつになり、海面へ突き刺さる。
 しかし向こうもむざむざとやられるつもりはないようだ。
 ザバァッ!
 迎え撃つように海面から飛沫きがあがり、巨大な魚影が正体を現す——

 砂浜を踏む、ざらついた足音がする。
 ラディリナが戻ってきたのだと、ロロワは力なく閉じていた目を開ける。
 呆気に取られた。
「えっと……どなたですか……?」
 恐ろしいほど美しいエルフの男だ。
 人間ヒューマンであれば20歳後半に見えるが、実年齢は100歳を優に超えているだろう。
 すらりと無駄のない身体は大地のような褐色肌で、肩には亜麻色の髪がつややかに流れている。
 エルフらしい端麗な顔立ちに、梔子くちなし色の瞳が冴え冴えと光り、何を考えているのか読み取りづらい。
 腕利きの芸術家が全霊をもって創りあげた彫像だ、と言われも一瞬納得してしまいそうな佇まいだ。
 アヒル柄の海パン姿でなければ。
「…………」
 男は誰何すいかに答えないまま、観察するようにロロワをじっと見下ろしている。
 沈黙が流れる。
 気まずい。美しい男というのは黙っているだけで妙な迫力があるのだと、ロロワは初めて知った。
 それでも腹は空くもので、空気を読まずに『ぐぅ~』と鳴る。
 それに応えるように、男の腹も『ぐぅ~』と鳴る。
「…………」
「…………」
 気まずい。
 と、男の背後からラディリナとモモッケが姿を見せ、嫌そうな顔をしながらエルフを指した。
「今日の釣果よ」
 釣果は2本足で歩くだろうか。
「リリースしてきてラディ!」
「……殴っちゃったのよ、剣で」
 ラディリナは心なしか申し訳なさそうだ。珍しい。天変地異でも起こるのだろうかとロロワは震撼とする。
 よく見れば、理想的な曲線を描く男の側頭部には大きな大きなたんこぶが出来ているのだった。
 ロロワは怪我をしていることも忘れて身を起こす。
「ラディ、ちゃんと“ごめんなさい”したよね?!」
「…………」
 ラディリナは目を逸らす。
「して」
「…………ご、」
「もっと大きな声で」
「………………ごめんなさい」
 蚊の鳴くような声だったが、それでも無いよりはマシだろうか——思った矢先、十倍ほどの音量の『ぐぅ~』がラディリナの腹から響き、すべてを掻き消した。
「さ、とりあえず食事の準備をしましょう! 手伝って、モモッケ」
「ぴ、ぴぃ!」
 ラディリナとモモッケは魚と流木を担いで木陰から離れたところに逃げていく。すぐにパチパチと火焚の音が聞こえてきた。
「…………」
 釣果——もといエルフの男はロロワの隣に腰掛ける。
 ざぱぁ~ん、ざぱぱ~ん
 陽気な波音が響くなか、両者の間には気まずい沈黙だけがある。
 チラリと伺い見れば、エルフの男は暴行など無かったかのように涼しげな顔つきで膝を抱えていた。
 その佇まいはまるで壮大なオーケストラに耳を傾けるかのようだが、視線の先では小蟹がハサミを振り上げているだけだ。
 ロロワは意を決して沈黙を破る。
「あの……二人がすみませんでした。怪我は大丈夫ですか?」
「問題ない」
 深みのある、落ち着いた声。
「凄いですね。普通の人なら首……もげてたかも」
 これは冗談ではない。仮に峰打ちだとしても、ロロワの首なら吹っ飛んでいるし、残念なことにラディリナの剣は両刃である。
「打ち所が良かった」
「ですね」
 中身のない雑談はすぐに行き詰まり「え~……」とロロワは言葉を探す。
 寡黙なこの雰囲気、誰かに似ているなと思う。
 誰だっけ ……
 するとそのとき、上半身が隠れるほど山盛りの料理を抱えたラディリナとモモッケが戻ってきた。
 そのあたりに生えている木々の葉を皿代わりにして、こんがり焼けた魚をどさりと盛る。鱗と内臓を処理して塩を振っただけの簡単な料理だが、色とりどりの魚体が目にも鮮やかだ。脂の乗った身が香ばしく匂い立った。
 何より空腹は最大の調味料。傷を負った身体で食べられるか不安だったロロワも、皿を目の前に置かれた瞬間、それが杞憂だとわかった。
『いただきます!』
 一同はごちそうに飛びつく。
 美味い。
 炙った皮に歯を立てれば、みずみずしい身が弾け、脂が滴り落ちていく。淡泊なはずの白身魚だが、こめかみにツンと来るほど甘く、旨味があった。
「~~~っ」
 死ぬ気で海を泳ぎ、ようやく浜に辿り着いたロロワとラディリナにとってはもはや殺人的な美味さで、会話をすることすら忘れ食事に没頭した。
 またたく間に魚体40㎝サイズを2尾平らげ、エビとイカに寄り道し、そこからさらにもう1尾ぺろりと飲み込んだラディリナだったが、さすがに喉が渇いたのだろう。
「あれ、いけるかしら」
 視線を上げると、頭上では椰子に似た木の実が揺れている。
「モモッケ——」
 声をかけようとしたラディリナの目前に、スッと差し出されたのは目当ての実だった。
「え?」
 いつの間に用意したのだろう。
 エルフの男から差し出されたそれは、飲みやすいようご丁寧に上部がくり抜かれている。
 突然の親切に、ラディリナは赤銅色の瞳をぱちくりとさせた。
「……ありがとう」
「礼はいらない」
 男はロロワとモモッケにも木の実を手渡してくれる。
 刃物か何かで丸く抜かれた穴から覗きこむと、中にはたっぷりの水が溜め込まれていた。口をつけると、ほんのり甘く青い香りで喉が潤う。
 海水を飲んで辛く焼けた喉には恵みの雨だ。
 ロロワたち3人はまたたく間に水を飲み干して、すぐに次の木の実にも手をつける。
 そうして腹がくちくなり、ラディリナは串刺しの魚を手にしたまま男に向き直った。
「私はラディリナ、彼らはモモッケとロロワ。あなた、旅行者? それともこのあたりに住んでるの?」
「旅行者だ。休みが取れてバカンスを」
「そう、じゃあこのあたりの医者、知らないのね」
 ラディリナはふぅと低い息を吐く。
「生憎。だが、彼の怪我のことなら、田舎の藪医者ごときでは治せないだろうな」
 それはカルテを読み上げるような、ただ事実を告げる声音。
「お前の傷は呪われている。二度にわたる呪いの傷だ」
 ラディリナは目を眇めつつ魚を齧る。
「あなた医者なの?」
「いや。だが傷を見ればわかる 」
 自明だ、と言うように断言して、男は身を乗り出し、ロロワの傷口の上で空気を掻くように手を動かした。
 まるで水晶玉を操る占い師のような手つきだ。
「真新しいのは呪われた銃による創傷か。その奥にもひとつ呪いがある……刺されたな。ただの剣じゃない」
「それはずっと前にすっかり治ったんですが……」
 小さく首を横に振るロロワに、ラディリナも同意する。
「オブスクデイトに刺されやつでしょ? 半年も前だわ」
「……オブスクデイト?」
 男の表情が動き、梔子色の瞳がわずかに見開かれた。
 口元に指をやって考え込む。
「それはヒューマンにしては背丈が高く、30歳半ばほどの、焼きたての魚をトンビに攫われたような顰め面の男か?」
 と、男は手にした魚をピッと掲げ、
「えぇ、作りたての牛乳おしるこを残らずひっくり返したような顰め面の男だったわ」
 と、ラディリナは木の実を掲げて中身をちょっと零す。
 男は深く頷いた。
「では俺の知っているオブスクデイトで間違いないようだ」
「……どうしてあいつを知っているの。あなたは誰」
 ラディリナの右手が傍らの炎剣に伸びる。ロロワもまた、いつでも動けるように膝を立てた。
「あぁ名乗りそびれていたな。ごめんね」
 男は顔をコテンと傾ける。
 緊迫した状況と、彼の怜悧な表情からは不似合いな「可愛らしい」と言ってさしつかえない仕草である。

「俺はシャドウパラディン第四騎士団長モーダリオン。よろしく」

 沈黙。
 ざぱぁ~ん、ざぱぱ~ん、陽気な波音が響く。
 やがてロロワの小さな「え?」があり、ラディリナの絶叫が響く。
「早、く、言、え!!!」
「今聞かれたから」
「何でシャドウパラディンの騎士団長がビーチにいるの」
「休みが取れてバカンス」
「そうね、もう聞いたわね」
 ラディリナは軽く頷いたが、すぐに再着火する。
「団長クラスなら話が変わってくるわ、剣を避けられなかったのは貴方の責任。私のごめんなさいを返しなさい!」
「ごめんなさい」
「いらないわよ!」
 立ち上がり、人指し指を剣のように突きつけて怒るラディリナと反対に、モーダリオンは「なぜ怒っているのかわからない」というようにちょっと眉を寄せている。
 それでも宥めるように両手を中途半端にあげたものの、すぐに諦めて本題に戻った。
「オブスクデイト、かつて俺の上官だった男だ。当時彼はシャドウパラディン第四騎士団団長、俺は副団長だった」
 ほとんど脊髄反射でシャーッと毛を逆立てたラディリナだったが、その感情の本質は怒りよりも驚きだ。
 吊り上げた眉に怒りが残ったものの、すぐに平静を取り戻し、地面にドスンと腰を下ろす。
「それ、あいつがテグリアの元上官を殺す前ってこと?」
「そうだ。……ん? テグリアを知っているのか」
「トゥーリでね」
「あぁ、任務報告書を見たな。彼はエバというサイバロイドの少女を守護していたと」
「守護なんて可愛いもんじゃないわ。ロロワはオブスクデイトに刺された。一度目の傷はそのときのものよ」
「……なるほど」
 モーダリオンは思案に瞼を伏せ、長い睫毛が梔子色の瞳にかかった。
「頭のおかしい女の為に、あいつは罪のない人たちを手にかけた。戦士でもない、ただの街人よ。あの女だけなら、きっとあれだけの犠牲は出なかったわ」
「うーん、どうかな……」
 ロロワが言葉を濁したのは、エバによって操られた人々を見たからだ。
 彼女は誰かの助けなどなくても、やがて同じ破滅カタストロフィへと辿り着いたのでは——理屈ではなく直感によってそう思うロロワだが、ここについて議論する必要はないため流す。
「ラディリナ、オブスクデイトの行方はわかるか?」
「さぁ。ロロワ?」
「僕も……すみません」
 ロロワは首を横に振る。
 エバとオブスクデイトは黒煙の中に消え、その行方は追えなかった。
「あぁ、あんたもテグリアみたいにオブスクデイトに恨みがある口? ずいぶん嫌われたものね」
「オブスクデイトは大罪人だ。天空の法の下処刑する」
 それは淡々と事実を告げる低い声音。
「だが、オブスクデイトの剣による刺傷ならば治癒の方法も見えてくるな」
「本当ですか?」
「あぁ」
 モーダリオンは落ちていた木の棒を拾い、砂浜にガリガリと絵を描いた。
 細長くトゲトゲした物がふたつ。
「潰れた虫?」
 とラディリナ。
 ラディ、と小声でたしなめて、
「地図ですよね?」
 とロロワ。
「剣。ブラスター兵装 だ」
 とモーダリオン。
「えっ」
 モーダリオンは木の棒でトゲトゲの中心あたりを指し示す。
「オブスクデイトの剣はテグリアの剣と対になっている。あちらは陰なら、こちらが陽。負傷がオブスクデイトの剣によるものなら、治癒のヒントは彼女の剣が持つだろう」
「理解したわ。テグリアはどこにいるの」
「彼女の領地は南、つまりここ。領都までは騎馬で3日というところか。傷はオブスクデイトを捕えられない我々にも責任がある。案内しよう」
「ありがとうございます!」
 ロロワは顔を輝かせたが、ラディリナはどこか釈然としない様子だ。
「なんだか上手くいきすぎてるわ。ミカニに撃たれて、海に落ちて、シャドウパラディンの騎士団長を拾って……? シャドウパラディンって言えば、不気味で得体が知れない秘密主義の奴等じゃない」
 ラディリナは魚の尻尾をモーダリオンに突きつける。
「それがこんな簡単に身元を明かすもの? 私たち、他国のスパイかもしれないでしょう」
「問題ない」
「舐められたものね」
「人を見抜く目はある。君たちを信用した」
 モーダリオンはゆっくりと立ち上がり、身体に纏わり付いた砂をパッパッと払う。
「支度を。俺のバカンスもここでおしまいだな」
 はぁ……とモーダリオンは露骨に溜息をついた。
「……バカンスはマジだったのね」
「もちろんマジだ」
 と、そのとき。
 バサバサバサバサッ!
 頭上から羽音が近づいてきて、モーダリオンの肩に一匹のカラスがとまった。
「あっ」
 さっきからロロワを狙っていたやつだ。
 頭上を飛んでいたときは太陽の逆光により黒い鳥影としか見えなかったが、間近にするとただのカラスではないことがわかった。
 薄い黒鉄で出来た兜を身につけており、瞳は爛々と赤く光っている。
 カラスは背負った大荷物をモーダリオンの前に落とした。布包みが開くと、中から衣類や直黒ひたくろに光る鎧が姿を現す。
 モーダリオンは鎧を身につけ、肩に乗ったカラスの頭を指で掻いて「オンファによろしく」と囁いた。
 カラスは「了解しました」というように恭しく頭を下げると、肩から飛び立ち、空の彼方へと消えていった。
 身支度を済ませたモーダリオンは、ロロワたちをゆっくりと振り返る。
シャドウパラディン我々の目は、いつ何時でも光り、国家への反逆を見逃すことはないということだ。さて行こう」
 と、モーダリオンは何事かを思い出した様子で足を止める。
「そうだ」
 モーダリオンは懐から何か取り出すと、ラディリナに投げて寄越した。
「っ!」
 掴み取ったラディリナが手を開くと、コルクで封をされた小瓶があり、中では透明な液体が揺れていた。
「何これ」
「三人で飲むと良い。指先から腐り落ちたくないなら早めに」
「——毒」
 血相を変えたラディリナは、地面に置いた木の実を蹴り飛ばす。溢れた水が白砂を染め、甘やかに匂いたちながら蒸発していく。
 男の表情は凍りついた冬の湖面のように動かない。
「年長者からひとつ忠告だ。長生きしたいのなら、ろくに知りもしない相手と食卓を囲むのはやめたほうがいい」

 シャドウパラディン第四騎士団長——沈黙のモーダリオン。
 彼の標的となったものは毒に苛まれ、かすかな悲鳴さえも残さずこの世から消え失せる。