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小説

Novel
クレイ群雄譚(クロスエピック)

第4章 歌が聴こえる

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第4章 5話 英雄の歌 前編

 惑星クレイ行き旅客輸送船『テセア』。
 数多ある惑星クレイと外宇宙を行き来する船のなかでも格安の旅費で知られており、船内環境は旅費相応に劣悪だった。
 最大42日の旅程のなかで、旅客の何人かが“居なくなる”が、原因が追及されることはない。
 多少の諍いごとなら無かったことになる『テセア』から緊急信号が送られてきたのは、惑星クレイに入港するまであと3日というタイミングだった。

 旅客輸送船テセア207号
 非常事態
 負傷者多数
 原因不明
 至急救援求む
 
 信号を受けたブラントゲート宇宙交通管理センターは、速やかに救援船を向かわせた。宇宙に漂うテセアが発見されたとき、信号の発信から5日が経過していた。
 テセアに横付けした救援船は、到着を伝えるメッセージを送った。しかし反応がない。旧式の宇宙船テセアは廃船のようにひっそりとしている。
「隊長、どうしますか」
「行くしかないだろう」
 救援船内で隊員たちは言葉を交わしあう。その胸に言いようのない不安が広がっていく。
 メーザーカッターで搭乗扉を断ち、隊員たちはテセアの中に踏みこんだ。
 船内の照明は落ち、濃い闇が広がっている。100人以上いたはずの乗客の気配はどこにもない。
 隊員たちが宇宙服の暗視のモードを起動させると、船内の様子が露わになった。
「……うっ!」
 熟練の隊長が、よろめくように後ずさった。
 乗降用ドアから客室に向かう通路には、エイリアンたちが折り重なるように倒れていた。一目で絶命しているとわかる、断末魔の形相だ。胸にはまるで内側から引き裂かれたかのような傷があり、周囲にはらわたがぶちまけられていた。
 明らかな異常事態だ。今すぐ撤退するか、それとも進むか。
 隊長を務める男は逡巡したが、すぐに決断を下した。
 生存者がいる可能性がある、行かなければ。
「俺が行く。お前達は船に戻り、指示を待て」
 しかし事態は予想を遙かに超えていた。荷物室にも食料庫にも亡骸がみっちりと詰まり、無数の目が虚空を睨みつけていた。
 集団ヒステリーだろうか、それとも事故だろうか。
 フライトレコーダーが残っていれば判別できるが、検証には時間がかかる。しかし今、亡骸をいくら注視しても事故原因はわかりそうになかった。
 そのとき客室の最奥から、かすかな物音が聞こえた。
 ライトを向ける。
 折り重なる亡骸の奥に少年が立っていた。 
 その異様さに思わず息を飲んだ。
 頭から爪先までが赤黒い体液に染まっていた。明らかな戦闘の跡だが武器は所持しておらず、それらしい物といえば右手に握られたスプーンだけだった。
 少年は静かに口を開いた。
「……救援か」
「あ、あぁ、そうだ……何が起きた」
「乗客を襲う者が出て、殺し合いになった」
「なぜ」
「不明だ。俺以外の生存者はいない」
 声には動揺や悲しみの色はない。惨劇のまっただ中においては酷く不気味な平坦さだった。
 まさか、この少年が主犯なのだろうか。
 質問を重ねようとしたとき、彼らのそばで何かが動く気配があった。
「生存者か」
「……待て」
 少年の制止を無視して、男は身を屈めた。
 あぁそうだ、間違いない。ぐったりとうつ伏せになった女、その手が痙攣のようにピクピクと動いている。生きている!
 大丈夫ですか、そう声をかけようと手を伸ばした、そのとき。
 シャァアァァァッ!
 女が跳ね起き、化け物じみた勢いで飛びかかってきた。突然のことに男の身体は硬直し、反応できない。
 暗闇に、かすかな光がきらめく。
 少年はためらうことなく化け物に右手を振り下ろした。スプーンが突き刺さる、ぐしゃ、という水音。
 化け物は地面に墜落する。少年はさらに何度も右手を振り下ろす。ぐしゃぐしゃ、ぐしゃ。化け物は動かなくなる。
 少年は淡々と台詞を繰り返す。
「俺以外の生存者はいない」
 腰を抜かした男は少年を見上げ、唇を戦慄かせた。
「き、君は何なんだ……どうしてこんなことを……」
 少年は答えない。ただ静かに男が恐慌に陥る様を見ている。
 不意に、少年の胸部で何かが明滅した。胸ポケットの携帯端末が何かのはずみで点いたらしい。
 端末に映し出された主人公が、場違いな極彩光をまき散らして叫ぶ。それはまるで男の問いかけに答えるようだった。
 
『ヒーローだからだ!』
  
    *

 昼さがり、ブラントゲートの市街を白いセダンが走っていた。
 セダンとは言っても、ヒューマンやエルフが自家用車にする車種よりもずいぶんと大きい。しかしエンジン音は小さく、意識しなければすぐ傍を通ったことにすら気づけないだろう。
 セダンはビカビカと電飾輝くカジノの前を通り、酔っ払いが行き交う表通りを抜け、そのまま町外れに向かった。猥雑な繁華街が、物寂しい灰色の家々に変わっていく。
 運転席では大柄なバトロイドがハンドルを握っていた。彼の名前はヒッコリー。いわゆる自律人型兵器で、中に操縦者はいない。
 ヒッコリーはハンドルをトントンと叩いてリズムを取り、調子外れの歌をうたっていた。
「悪を許さぬ正義の心! ガルガ・ガルガ・ガルガティア!」
 後部座席ではライオンのハイビーストが横たわっている。彼の名前はクメト。豊かな鬣を持つその姿はまさしく百獣の王といった風格だが、“騒音”に苛立って尾を揺らしている様子からは、神経質な内面が窺えた。
 ヒッコリーとクメト、どちらも真っ白な制服を着ている。もちろん医療従事者でも研究者でもない。彼らは白服の男ホワイトマンと呼ばれる違法入国エイリアン対策部隊だった。
 どんどんボルテージをあげていくヒッコリーの鼻歌に、ついにクメトは我慢の限界を迎えたらしい。伏せていた顔を持ち上げて、威嚇するようにグルルと唸った。
「やめて、うるっさいな」
「なんでだよ! ガルガティアのオープニングだぜ?」
「駄目」
 すげない一言に、ヒッコリーは「ガーン!」とオーバーリアクションでショックを現した。
 クメトは無視をして話を続ける。
「それで、増援は? まさかこのまま2人で突っ込まされる……なんてこと、ないよね?」
「要請してるっての。だが情報部のやつら“みんな連続爆破事件で手一杯なの”、“あんた達が自力で探してみたら?”——クソッ」
 ヒッコリーのアイライトが苛立ったように細くなる。
 そこに、ピロンッと軽い電子音がして、連絡モニターを兼ねたフロントガラスに赤い新着通知アイコンが映し出された。
「来た来た来たァッ!」
「ふぅん……ちょっとは使えるヤツだといいけどね。ギルネみたいな馬鹿マッチョならお断り」
「だーもう、いちいちうるせぇなテメーは! 少しも待てねぇのか、よ!」
 ヒッコリーは荒っぽい手つきで新着通知アイコンをタップした。
 画面が切り替わり、フロントガラス右方に簡略な経歴書が表示される。眼鏡をかけた男の顔写真に『ミカニ』と名前が記されている。
 まだ若く、色のない髪に薄氷のような瞳、セルフレームの眼鏡が野暮ったい。しかし何よりも気になるのは、その表情だった。ダークステイツでは夜な夜なゴーストが出ると言うが、きっとこんな辛気臭い顔をしている。
「カーッ! こっちまで陰気になりそうな顔つきだぜ。こいつ知ってるか?」
「ううん。どっかで見たような気もするけど……思い出せないや。新入りじゃない?」
 セダンはやがて町工場の裏に停まった。どうやら印刷工場らしく、『モクモク印刷』と書かれた看板が傾いている。
 クメトはスモークがかかったリアドアガラスから周囲を見渡した。
 廃工場を囲む街路では、地元住民が行き交っている。大きな買い物袋を提げた夫婦に、地面にチョークで花を描くワンピースの少女。
 見るものの心を和ませる長閑な光景だが、問題がひとつ。
「いないじゃんミカニ」
「まだ取引まで時間はある、ゆっくり待とうぜ」
 今日の任務は秘密組織『フララート』の取引現場の確保だった。
 フララートはエイリアンたちによって構成された違法組織で、麻薬を漉き込んだ特殊紙を作り市場に流通させている。その麻薬引き渡し現場を抑えるのが今回ヒッコリーたちに与えられた任務だった。
 情報部によれば工場内にフララートの戦闘員はごく少数、多くても10名程度がいるだけだろう。4名程度の少数である可能性も高い。
 ヒッコリーは「俺たち2人で余裕だろ!」と二つ返事で引き受けた。しかしクメトが苦言を呈し、増援がアサインされた形だ。取引時間まではあと1時間。しかしまだ来ていない。
「お、そうだ!」
 ヒッコリーはガバッと身を起こした。フロントガランスをタップして、民営放送のアプリケーションを起動させる。
 何ごとかと見つめていたクメトは、ヒッコリーが録画予約に進んでいることに気づいて声を荒げた。
「なに、もしかしてまたガルガ何とか? あのず——っと前のテレビドラマ」
「ガルガティア、な。俺としたことが、再再再再再再再再再再放送の録画を忘れてたぜ」
「どうせハードで持ってるんでしょ。なのに録画する意味って何?」
「馬ッ鹿野郎! 今どき録画数だってデータ取られてンだ。こうしてファンがちゃーんと居るってアピールをだな」
「あーもういい。オタクの話を聞いてると耳までオタクになる」
「ンだとぉ!」
「……静かに」
 不意に、クメトが前肢を上げて台詞を遮った。頭から煙を噴いていたヒッコリーも、察して瞬時に口を閉じる。
「……来た」
 クメトの鋭い視線の先には、道を曲がって近づいてくる小型トラックの姿があった。業務運搬用としてよく用いられる車種。年期の入った佇まいにも、ナンバーにも、おかしなところはない。キャップを被った運転手のまなざしが、やけに鋭いこと以外には。
 小型トラックはセダンの横を通り抜け、看板の下に停まる。間を置かず、作業服を着た男が2人、車から降りてきた。
 男たちは警戒した様子で周辺に視線を走らせた。しかしヒッコリーたち白服の男ホワイトマンが乗るセダンは特殊なステルスがかかっている。彼らの目にはセダンも中のヒッコリーたちも見えず、その向こうで遊んでいる少女の姿しか識別できない。
 問題なし。そう判断した男たちはアタッシュケースを携え、足早に工場内へ入っていった。
 いまだ太陽は高く昇っている。情報部の掴んだ取引時間よりもずいぶん早い。
「ハァ、ゆっくり録画もさせてもらえねぇのかよ」
「それは自業自得」
 クメトはミカニを探してあたりを見回したが、やはりそれらしい人影はない。
「……待ってられないよ、行こう」
 クメトはそっとドアを開けた。
 続けてヒッコリーが外に出ると、路上で遊んでいたレモンイエローのワンピースの少女は、突然現れた大男に目を丸くした。チョークペイントは花から虹へと移行している。なかなかの大作だ。
 うん、この子はきっと凄腕のアーティストになるな。俺にはわかる。
 だがここは心を鬼にしなくちゃな。
 ヒッコリーは膝と腰を限界まで曲げて視線を下げ、少女へ優しく話しかけた。
「この工場は怖い怖いお化けが出るんだ。もっと遠くで遊んだ方がいいぜ、お嬢ちゃん」
 少女はきょとんとして首を傾げる。
「お化け? お昼なのに?」
「お昼でも、出るのさ」
 右目のアイライトを明滅させ、ヒッコリーはウインクした。
 

 工場に踏みこんだヒッコリーは注意深く辺りを見回した。
 廃工場なのか、機械は止まり埃をかぶっている。静まりかえったフロアには工作員や作業員の影はなかった。
 とはいえ、ヒッコリーの身の丈はヒューマンの倍。いくら“息を潜める”のが得意でも、姿を隠しきることは難しい。
 そこで役に立つのが纏っている“白服ホワイトスーツ”だった。彼らの代名詞として恥じない様々な特殊機能がついている。
 そのうちのひとつがセダン同様のステルス機能だった。屋外、屋内問わず風景と同化し、注視されない限り見破られることはない。
 ただし、気をつけなくてはいけないことが一つある。
 白服ホワイトスーツは物音までは隠してくれないのだ。
(俺は壁……俺は地面……!)
 自分に言いきかせながら、ヒッコリーは抜き足差し足で工場を進む。一歩、また一歩。そのたびに機械の足と合成樹脂の床が触れあいガチャガチャと音がした。音量はたかが知れている。もし工場が稼働していれば紛れただろうが、静まりかえる工場内では案外響く。
 フララートの構成員らしい黒スーツの男が通りがかるたびにヒッコリーは足を止め、去ったあとにそろそろ歩き出し、またストップ、リスタート。
 そうこうしているうちに、ずいぶんと時間を食ってしまったらしい。2階に向かう階段の踊り場にさしかかったところで、不機嫌なクメトの音声が頭に響いてきた。通信機越しのため、ややノイズがかっている。
『ちょっと、まだ位置につけないの? 5分と20秒オーバーだよ』
『簡単に言いやがって……』
 ヒッコリーも文句を返すが、口は動かさない。
 バトロイドのヒッコリーは声にしなくても直接通信することができた。大きな身体というネガティブ要素があっても潜入任務につけるのは、この長所によるものだ。
 どうにか2階に辿り着き、ヒッコリーは首を覗かせた。
 まっすぐに伸びる薄暗い廊下には誰もおらず、かすかな家鳴りのほかには何も聞こえてこない。
『奴らちょうど引っ込んでる。見張りはいないぜ。よし、さっさとズバッとやっつけちまおう!』
『待って。作戦書はちゃーんと読んで来たよね?』
『あたぼうよ!』
 作戦の概要はごく単純だ。
 取引現場となる2階205会議室に突入し、構成員たちを一網打尽にする。
 ヒッコリーは1階から潜入し2階にまわり、出入りのドアから。クメトは外から侵入し窓から。二カ所から不意をつくことで、1人も逃がさず捕らえられる。
『フロアの間取りもちゃんと頭に入ってるよね?』
『あったぼうよ! だーもう、お前は俺の母ちゃんか? ハンカチは持ったぜママ』
 言いつつヒッコリーは205会議室に忍び寄った。
 黒い合金製のドアは、工場の会議室に設えるものとしては異様なほど剛健だった。鍵はタッチ式のキーワード認証。ドア一枚を隔てた会議室の声は一切聞こえてこない。
(中で後ろめたいことをしてまーす、って言ってるようなモンだぜ)
 そこにクメトの合図が聞こえてくる。
『いくよ。——3、2、1……0!』
 ヒッコリーの愛銃、リアトス18が火を吹いた。
 マスターキー代わりのシルバニウム弾、その唯一にして最強の一発によって蝶番が弾け飛ぶ。
 バンッ!
 捻れたドアを蹴り、ヒッコリーは会議室に飛びこんだ。意気揚々と名乗りをあげる。
白服の男ホワイトマンヒッコリー参上! おうおうテメーら、諦めてお縄につ……け……」
 渾身の名乗りは中途半端に萎んだ。
 悪党共が雁首を揃えているはずの会議室にはネズミ一匹いなかった。部屋の中心には立派な長テーブルがあり、それを囲む十客のチェアは空っぽだ。
「んー?」
 悪党が消えてしまったのか? 首を捻る。
 思いついた。そうか!
「敵にマジシャンがいたんだな!」
「このおが屑頭エアヘッドー!」
 聞き慣れた罵倒は、廊下を隔てた背後の会議室から聞こえた。タタタタン、というフルオートの斉射音がそれに続く。明らかに交戦中の物音である。
 ヒッコリーはアー……と呻いた。
「まさか、部屋間違えた?」
 慌てて向かいの会議室に駆け込むと、そのまさか。黒いスーツの悪党共にクメトが囲まれていた。
「あぁもう、作戦めちゃくちゃだよ! あんなに間違えるな間違えるな、作戦書は100回読めって言ったのに!」
 ヒステリックに叫びながら、クメトは背中に積んだ機関銃レイコープM6から銃弾をバラ撒いた。
 ダダダダダッ!
 ヒッコリーなどお構いなしの連射である。
「アダダダダ! 悪かった、悪かったって!」
 悪党は10人、最新式の防弾スーツという出で立ち。そこらの悪党としては立派な装備で、クメトの8ミリ弾では貫通できないだろう。
 ならば打つ手は無いのか——
「いいや、ここには俺がいる!」
 ヒッコリーは拳を前に突き出し、お決まりのヒーローポーズを取った。
白服の男ホワイトマンヒッコリー参上! おうおうテメーら、諦めてお縄につけ!」
「このおが屑頭エアヘッド——!」
 当初想定された作戦時間は100秒。不意をつくことで速やかに対象を無力化する作戦だった。
 しかし『想定外』の事態により作戦は長引き、最後の一人をゴチンと殴るまでにはたっぷり512秒を要した。
 ヒッコリーは地面に倒れた男に手錠をかけ、ジェラルミン製のアタッシュケースを拾い上げた。
白服の男ホワイトマンヒッコリー、任務完了!」
 胸に広がる充足感。あぁ、白服の男ヒーローになってよかった。
 しみじみと感じ入るヒッコリーにクメトは冷えた目を向ける。
「馬鹿やってないでさっさと撤退するよ。僕は外から行くから、処理班に連絡はよろしく。じゃあ」
 そっけなく言って、クメトは侵入に使った割れ窓に前脚をかけた。「おい!」と叫ぶヒッコリーを無視してひらりと降りていってしまった。
 身軽なクメトはドタドタと階段を使うよりも窓を使う方が早いのだ。
「ふん、なんでい」
 悪態をつき、会議室を出る。
 5分もしないうちに任務完了の報告を受けた処理班が到着し、拘束した悪党共を連れて行くだろう。工場は封鎖され、何も知らない周辺住民が真相を知ることはない。
 ヒッコリーが快刀乱麻の活躍をしたことを知ることはない。
 白服の男ホワイトマンたちの仕事は、市民の賞賛を浴びるような華々しいものではない。陽気に歌いながらネズミを狩るネコがいないように、違法エイリアンを捕らえるためには闇のなかに潜んでいなくていけない。
 正直、かなり寂しい。
 ヒッコリーだって、ガルガティアのようにズガーン! と敵を倒し、ガシーン! と市民を助けたい。そして『さすがヒッコリー!』『俺たちのヒーロー!』と称えられたい。
「——無理無理むり、無理な話よ〜ってな」
 デタラメな即興歌を口ずさみながらヒッコリーは1階に降りた。
 ぞろぞろと集まった黒スーツの悪党たちがヒッコリーを睨んでいた。
「……っ!」
 1階に仲間が潜んでいたのか。それとも2階にいた連中が助けを呼んだのか。マズい。
「ずいぶんと好き放題やってくれたな、白服の男ホワイトマン
 悪党達は6人。うち1人の腕のなかでは、レモンイエローのワンピースの少女が悲鳴すら上げられず凍りついていた。路上で落書きをしていた彼女だ。
 工場から離れろと言ったのに、どうして。いや、ヒッコリーがお化けが出るなんて言ったせいで好奇心をくすぐられてしまったのだろうか?
(——俺のせいで)
 戦慄しているヒッコリーに、悪党の一人はアタッシュケースを顎で煽って見せた。
「そいつを渡せ」
「くっ……!」
 悪党の意のままになることは無念だが、それでも少女の安全が最優先だ。
 ヒッコリーはアタッシュケースを男に向かって投げた。山なりの放物線を描き、アタッシュケースが男の手の中に収まる。
 男はニィと汚らしく笑った。
「おいおい、乱暴に扱うなよ。どうなっても知らねぇぞ?」
「っ! まさか……!」
 ヒッコリーの脳裏によぎったのは、最近頻発している連続爆破事件だった。爆破予告はなく犯人も目的も不明。まさか、アタッシュケースのなかには爆薬が詰まっているというのだろうが。
(——いや)
 すぐに否定する。
 ただのブラフに違いない。はったりでこちらの動きを阻害しようとしているだけだ。
 しかし、ブラフだとわかってはいても無闇に動くことはできない。ヒッコリーは市民を守る白服の男ホワイトマンなのだから。
 何か策はないのか。視線を巡らせると、悪党たちの背後、アルミサッシの窓から鬣のてっぺんが見えた。外から下に降りたクメトがこちらの様子を窺っているのだ。
(よし!)
 ヒッコリーは内心でガッツポーズをした。
 クメトの銃の腕前はヒッコリーが誰よりも知っている。この距離で外すはずがない。背後から不意を突いてバン、悪党たちが事態を理解するよりも先にバンバンバン。あっという間に事件解決だ。
 合図のため片目だけ明滅させ、通信機越しにエールを送る。
『いけ! やっちまえ!』
 しかしクメトからの応答はなかった。通信機が壊れているのかと思えば、ややあって、呼吸困難を起こしたような喘ぎが漏れ聞こえてきた。
『は、はっ、はぁっ……』
 息には牙と牙が触れあいカチカチと鳴る音が混じっている。
 窓からクメトの姿は消えていた。どこかに向かったのか、それとも窓下に蹲っているだけなのか、判別がつかなかった。
『何してんだ。俺が注意を引いてる隙に撃ち抜いちまえ。お前の腕なら出来る!』
『……無理だよ』
『なんでだよ!』
『だ、だって……作戦書にはこんな展開になるなんて書いてなかったじゃん。人質救出のことなんて、一言もなかった。撃って、外したらどうするの?』
『だー! この弱虫猫スケアディ・キャット!』
 あえてクメトが嫌がる呼び名で叱咤しても、ひゅうひゅうという神経質な呼吸音が聞こえてくるだけだった。
 弱虫猫スケアディ・キャットのクメト。
 それが彼の通称——いや、蔑称だった。
 クメトは任務遂行能力が高く、戦闘力においても判断力においても優れている。しかし作戦から外れた不測の事態が起きたとき、生来の臆病さが彼の身体を凍らせ、大幅に任務遂行能力を下げてしまう。ゆえについた蔑称が“弱虫猫スケアディ・キャットのクメト”だった。
(……クソッ!)
 クメトは当てにならない。ならどうすればいい? どうすれば人質を解放しアタッシュケースを取り返すことができる?
 ヒッコリーはギギッと悪党たちを睨みつける。
 頭が熱い。打開策が出てこない。リアトス18に残った弾丸は内部に4発に予備マガジンを加えて計22発だが、相手は6人、撃ち切ってマガジンを入れ替える余裕はない。
(もう突進して一気に片をつけるしかねぇ!)
 おが屑頭エアヘッドのヒッコリー、それが彼の蔑称だった。
 作戦書通りに任務を遂行することに長けたクメトとは真反対に、ヒッコリーは作戦書を流し読みする悪癖があった。当然ピンチに陥り、それを大博打の荒っぽい手段で乗り切ろうとする。
 もちろん、乗り切れることは稀だ。ゆえについた蔑称が“おが屑頭エアヘッドのヒッコリー”だった。
『馬鹿、やめろ!』
 クメトの制止も耳に入らない。
「ヒッコリー・正義ジャスティスモード起動!」
 高らかに台詞を叫ぶ。
「……馬鹿なのか?」
 悪党達は呆れる。
 それでもヒッコリーの身体は『正義ジャスティスモード』へと変形していく。肩部は張り出し、肘からは棘状の機構が露出、踵から白い煙がぼうぼう吹き出し、全身がビカビカと虹色に光る。
「潰れかけのカジノみてぇだな」
 とは悪党達の評。
 しかしヒッコリーはめげない。
「ウォォォォォォォッ!」
 雄叫びをあげ、右拳を突き上げ、銃を恐れず突進しようとして——
 工場に銃声が響いた。
 白い光が閃き、マズルフラッシュの直線が悪党の頭を貫き、抜けていく。弾痕からシャワーのように血が噴き出し、男はそのまま崩れるように倒れた。
(クメトの奴やったのか? ——いや、違う)
 瞬時に否定する。クメトが使用しているレイコープM6の銃声は今聞こえた物よりも低い。
 では、誰が。
 事態を理解するよりも先にヒッコリーは駆けだしていた。悪党が撃たれことで解放された少女を腕に抱きしめ、跳躍。悪党共から距離を取る。
 ズン、と着地し辺りを見渡した。
 銃弾が放たれた方向にカメラの焦点を合わせると、開け放たれた出入り口で、陽光を背負い一人の男が立っていた。
 色のない髪に薄氷のような瞳、野暮ったいセルフレームの眼鏡に辛気臭い表情。経歴資料にあった写真をそのまま切って貼り付けたかのような、その顔。
「……ミカニ」
 声を漏らしたヒッコリーを一瞥し、すぐさまミカニは悪党たちに銃の狙いを定めた。
 その手にあるのはホワバーX600。ブラントゲートの制式拳銃として広く採用されているもので、口径は9ミリ、マガジンには15発。
 ためらいなく引き金を引いた。
 タァンッ、と軽やかな銃声。悪党達の眉間に突き刺さり、緋色の花が咲く。
 エイリアンの心臓は胸部にあるとは限らない。腹部にあるものもいれば、管状に長く伸びている場合もある。ゆえに急所も様々だが「頭」を失って長く生きていられるものはいない。
 薬莢がリズミカルに吐き出され、ミカニは一発で悪党達たちを仕留めていく。
 工場設備を弾避けにして応戦を試みる悪党もいたが、銃口を向けたときにはミカニの姿が消えている。どこだ、と悪党が慌てて首を回した次の瞬間には、こめかみに銃弾が突き刺さる。
「す、すげぇ……」
 少女を腕に抱きしめ、加勢もせずヒッコリーは呟いた。
 悪党全員が地面に沈むまでに60秒もかからなかっただろう。手品でも見ているかのような鮮やかさだった。
「……——」
 “片付け”を終えたミカニは、撃ちきったマガジンを下に落とし、予備マガジンをストレージに差し込みながらヒッコリーたちを見た。その顔には疲労も任務完遂の昻揚も存在しなかった。
 しかしヒッコリーのテンションは爆アゲである。当然だ。瞳は壊れたように赤青緑の極彩色にめまぐるしく変化している。
「すげぇなミカニ。助かった! 俺はヒッコリー。ヒッコリー隊の隊長、ヒッコリーだ。よろしく!」
 握手を求めてヒッコリーは右手を差し出した。
 しかしミカニは5メートルの間合いから近づかず、戦闘態勢を解こうとしなかった。
「おいおいなんだ、握手ぐらい良いだろ。感じが悪いやつだな」
「……確認する。お前は白服の男ホワイトマンだな」
「喪服着てるように見えるか? 見りゃわかんだろ」
「……了解」
 変な奴だな、とヒッコリーは内心首を傾げる。シャイなのか? 仲良くなるまで時間がかかるタイプか?
 するとそこに、チャチャチャ、と爪音を立ててクメトが駆けてきた。
 ヒッコリーは器用に右口角を上げて皮肉を投げた。
「おうおう、真打ちの登場か? 弱虫猫スケアディ・キャット
「……本当にごめん」
 うなだれるクメトの鬣を、ヒッコリーは荒っぽく撫でた。
「ま、次頑張りゃいいんだって。このヒーロー様のお陰で万事解決だ」
「あぁ、見てたよ。凄い銃の腕だった。助かったよ」
 クメトは顔をあげ、ぎこちない笑顔をミカニに向ける。それでもミカニは戦闘態勢を崩さない。
「お前も白服の男ホワイトマンだな。ヒッコリー隊のクメト」
「えっと、そうだけど……」
「だからさ、見りゃわかるだろって」
「了解。では任務を遂行する」
 そしてミカニはヒッコリーに守られている少女に銃口を向けた。狙いは眉間、間合いは5メートル、外しようのない致死の距離。
 あまりに予想外の行動だった。そしてあまりにも躊躇いのない行動だった。悪党たちを鮮やかな手際で倒したのと同じ、自然な流れのなかにあった。
「えっ?」
 少女は向けられた銃口にパチパチとまばたきをした。ヒッコリーもクメトもただ困惑して、どう言葉をかけていいのかわからない。
 ハハ、とどうにかヒッコリーは笑い声を絞り出した。
「……おい、何してんだよ。ジョークのセンス死んでんのか?」
「もう、怯えちゃうでしょ、下ろしなって」
「俺は“工場にいる白服の男ホワイトマン以外を制圧するように”と命令されている」
「だから、制圧が終わっただろ。たった今!」 
「これは“部外者”だ。彼らの仲間である可能性がある」
 ミカニの瞳は少女を映している。
「ダハハハハ、おもんねぇジョークだなぁ!」
 ヒッコリーは必死の声を張り上げたが、それでもミカニは銃を下ろさない。
 刹那にヒッコリーとクメトは理解していた。こいつ、本気で撃つつもりだ。
「——馬鹿野郎!」
 響いたのは、銃声ではなく怒声と骨のひしゃげる音だった。

     *

 国家捜査局BBIは、ブラントゲートの治安維持を担う組織だ。活動は多岐に渡るが、テロ組織の捜査と対策が最重要任務とされている。
 長官及び副長官が在籍する本部はセンタードームに存在し、各ドームには支部が置かれ白服の男ホワイトマンたちが日夜暗躍している。
 ヒッコリーたちが所属しているのは各地に存在する支部のうちの一つ、セカンドウェスト支部だった。
 白服の男ホワイトマンとして現場に立つのは約100名、1000人ほどは情報収集や科学技術開発などのサポート任務についている。
 国家組織でありながら謎めいた組織、というのがブラントゲート市民の国家捜査局BBIへのイメージだろう。もちろんイメージはネガティブなものだけではなく『クールだ』とフィクションで取り上げられることも少なくない。

 廃工場での任務翌日。
 『情報部』と記されたフロアを、白いスーツの男女が行き交っていた。体つきも身のこなしも非戦闘員のものだが、眼差しの底では鋭い知性が輝いている。
 白服の男ホワイトマンが手足ならば、情報部はまさしく頭脳。緊張感に満ちた会話が静かに交わされている。
 そこに——
 ドタドタドタ、バタンッ!
「ミカニ、ヤバいじゃん! 何なのあいつ!」
 オフィスに飛び込んできたクメトは、喉が裂けるほどの大声で叫んだ。
 デスクに座る周囲の職員たちは「あぁ……」となんとも言えない苦笑いを浮かべた。「やっぱりね」「ご愁傷様」——そうとでも言いたげな空気が満ちていく。
(……どういうこと?)
 クメトが眉根に皺を寄せると、そこに、アハハハハ! と弾けるような笑い声が響いてきた。
 奥のデスクで、エルフの女が身体を折るようにしてケラケラと笑っていた。
「やっぱダメだったかぁ」
 派手な容貌の女だった。
 ウェーブがかった金髪に、ラメの輝くアイメイク、ラインストーンが盛られたスカルプネイル。その出で立ちは週末のファッションビルで見かけるならまだしも、生真面目なオフィスでは極彩色の珍獣のように浮いている。
 しかし彼女こそ情報部の長だった。名前をスピアという。
 クメトは鬣を逆立たせ、苛立ちを露わにした。
「確信犯だな。最悪だ」
 スピアはオフィスチェアをくるくる回転させ、コーラルピンクの唇を尖らせた。
「えー言い過ぎじゃない? 情報部うちにそんな権限ないの、知ってるっしょ? 頼まれてアドバイスするだ・け」
「あぁ、知ってるよ。あんたの“アドバイス”の影響力もね。なんでもっとまともなヤツを寄越してくれなかった」
「だって、あんたたちの援護にまわるような暇人なんていないんだも〜ん。人望ってヤツぅ? ま、そんなことはどーでもいいじゃん。何やっちゃったの、ミカニ」
 スピアは目をキラキラと輝かせ、前のめりで聞いてくる。
 はぁ、とクメトは不機嫌な溜息をついた。
「紛れ込んだ一般人を撃ち殺そうとしてヒッコリーに殴り飛ばされた」
 スピアは大きくのけぞり、ケラケラケラ、と笑った。
「イカれてんね〜!」
「…………」
 ちょっとくらい吼えてもいいのでは、という思考がクメトの頭をよぎる。
 しかし、この態度でも優秀だ。むしろ、優秀だから許されているとも言える。実際に、昨日の麻薬取引の情報を得たのは彼女のチームだった。
 衝動的な怒りを抑え、低い声音で問いかける。
「……あいつ、何?」
「ちょい待ち」
 スピアはディスプレイに向き直り、すぐに画面を回して見せてきた。
 細かな文字がびっしりと並んでいる。
「……何これ」
研修機関アカデミーの成績。見て、射撃評価S+よ。白服なんか着なくても、競技射撃で食べていけそう」
「……あれでもエリートってわけ」
「能力だけなら超優秀。もちろんどこかの弱虫猫ちゃんと違って土壇場でビビったりしないしね」
「…………」
 睨みつけたが、スピアに通じるはずもなかった。
「もちろん、そんな優秀な人材を上が放っておくはずがない。研修機関アカデミーを卒業してすぐ本部に着任したわけ」
「へぇ、凄いね」
 思わず、素直に感心してしまう。
 本部の白服の男ホワイトマンと言えば、国家捜査局BBIの花形だ。研修機関アカデミーを上位の成績で卒業したとしても、必ず配属されるとは限らない。
「そう、期待のホープだった。初任務だって、今回なんか比べものにならない大規模爆発テロの阻止。爆破装置がポチッと押されただけで数万人規模の被害が出るやつ。あんたたちだって一度は夢見るでしょう、盛大なピンチ、颯爽と市民を救うヒーロー!」
 クメトは居心地の悪さに身じろぎをした。ハイ夢見ています、と馬鹿正直に答えるほど面の皮は厚くない。……ヒッコリーなら答えそうだが。
「それで何? 優秀なミカニは大活躍?」
「んーん。あいつは初任務で上官の腕もろとも爆破起動装置を撃ち抜いたんだって」
 アハハハハハハハハッ! 
 スピアは身を捩って笑い、目尻に滲んだ涙を爪先で拭い取った。
「装置は見事粉砕され、任務完了。上官も命は取り留めたから、新兵の“狙い外れ”として処理されましたとさ。一件落着!」
 絶句するクメトに、スピアは意地悪く笑いかけてくる。
「その後もミカニは順調に任務を完遂して、そのたびに市民にも味方にも負傷者がゴロゴロでた。ついたあだ名は“ブリキ野郎ハートレス”。こんなやつと同じ任務に着きたいと思う?」
「……それでここまで飛ばされてきたって?」
「そゆこと〜」
 スピアはパチンと指を鳴らした。
「弱虫猫ちゃんにはお似合いの仲間じゃん? ……って言いたいとこだけど」
 スピアは腕を組んで天井を見上げた。
「あんたたちの腕もげようが首が吹き飛ぼうが、事件が解決できるならプラマイゼロだけど、さすがに一般人にまで被害が行くのはね。心優しいあたしはちょっと考えちゃうかな」
「……どの口が」
「この口、この口。リップゾンビの新作ティント!」
 んーまっ、とスピアがキスを投げてくる。
「どうする? このまま問題児2人でやってくか、問題児を3人に増やすか。ヒッコリー班の頭脳ブレーンはあんただもん。ミカニ欲しい? 要らない? 人事に話は通しておく、今決めていーよ」
「物じゃ無いないんだから、今すぐなんて……」
 クメトはもごもごと口元を動かした。突然判断を委ねられ、とっさに頭が上手く動かなかった。
 硬直していたのは、恐らく2、3秒のことだっただろう。しかしクメトには何倍にも感じられ、真っ白になった思考には、強烈な自己嫌悪だけが湧き起こっていた。
(いつもこうだ。いつもいつも、ずっとずっと、何も決められない弱虫のまま、事態がどんどん悪くなって……)
 スピアの瞳が値踏みするように光る。
 そのとき、メスライオンのワービーストがモニター間から顔を覗かせ、朗らかに声をかけてきた。
「ハァイ、クメト。今日も素敵な鬣ね」
「っ!」
 クメトは呪縛が解かれたように顔を上げた。
 彼女の名前はアラ。その野性的な肢体と美しい琥珀色の瞳でネコ科のワービースト・ハイビーストたちを虜にする事務職員で、もちろんクメトも彼女に淡い恋心を抱いていた。
「お話し中のところ悪いんだけど、一瞬スピア借りてもいい?」
「あ、うん、もちろん」
「何なにー? 急ぎ?」
 アラはスピアに向かい申し訳なさそうに両手を合わせた。
「あの人、今どこにいるかわからない? 見失っちゃって。えっと、あのデーモンの……何て名前だったかな。あの人」
「あ、理解。ちょい待ちー」
 スピアは長い爪で器用にマウスを弄っていたが「見つかんないなぁ」と首を横に振った。すぐに「そうだ」と呟き、クメトを指さしてくる。
「ちょっと探してきてよ、たぶん西棟。うちの職員じゃないから見ればわかる」
「は? なんで僕が……」
 クメトがぶつぶつ文句を言おうとすると、スピアはアラの肩に腕を回し、目を細めた。
「その優秀な鼻と耳ならすぐ見つかるでしょ?」
 アラの琥珀色の瞳にクメトが映っている。この選択だけはどう答えればいいのか明白だった。
「……いいよ」
「えーやさしーありがとー」
 スピアは棒読みの礼も終わらないうちに、モニターに向き直りキーボードを叩き始めている。
 クメトは文句をつける気力すら湧いてこず、溜息混じりの息を吐き、出入りの自動扉へ歩き出した。
 自動判別で生体認証がなされ、扉が静かに開く。その背中に遠投でスピアの声が飛んできた。
「あ、そうだ。どうするの、ミカニの件」
 クメトは振りかえらなかった。
「……うちのリーダーはヒッコリーだ。ヒッコリー無しには決められない」
「あ、逃ぃげたぁー」
 わざとらしいほど甲高い声。どうせまだアラはそばにいて、彼女にも聞こえるよう言っているに違いない。
(……最悪)
 内心で吐き捨てた。

     *

 武器庫は石階段を降りた地下一階にあった。
 ヒッコリーが重い防火扉を開けると、裸電球の殺風景な灯りに照らされ、大量の銃器がずらりと並んでいた。
 ブラントゲート製の最新拳銃から、金属細工が美しいドラゴンエンパイア製の古式銃アンティークまで。マニアが見たら泣いて喜ぶこと間違いなしのラインナップだが、どれだけ魅力的な銃が揃っていてもメンテナンスが行き届かなければ何の意味も無い。
 武器庫の主であるガンスミス、ボボは背中を小さく丸めてパイプ椅子に座り、黙々と手を動かしていた。
 ヒッコリーは右手を掲げ、陽気に声を張りあげた。
「よ、大将! 調子はどうだ?」
「弾ァ無いよ。帰んな」
 顔も上げず、ボボはすげなく言い捨てた。
「……そっか」
 ヒッコリーが武器庫に来た理由はたったひとつ、愛銃リアトス18の銃弾を補充すること。様々な事情があり、この弾丸の入手は困難になっていた。
 しかしツテのないヒッコリーでは難しいが、武器庫の一切を取り仕切るボボならば話は別だ。どこから手に入れたのか「ほい」と渡してくれることがある。
 もちろん、そうでない日の方が多いのだが。
 ヒッコリーはがっくりと肩を落とし、防火扉のドアノブに手をかけた。そこに後ろからしわがれた声が飛んでくる。
「そんな面倒なもん、さっさと使うのやめちまいな」
「!」
 グルンツ!
 勢いよくボボに向き直り、ヒッコリーは目をビカビカ光らせた。
「ロマンってもんがある! オヤジならわかるだろ?」
「そりゃあわかるが……」
 ボボは分解した銃身を真鍮ブラシで磨きながら、ボソボソと独り言のように呟いている。
「銃だって所詮は道具だ。人は道具を使う。道具は人に使われる。道具に振り回されるってのは順序がアベコベだ」
「ハハハ、さすが大将、頭が痛ぇや」
「しかもそのバカが2人になったってんだから、はぁ、正気じゃねぇな」
 ボボはブラシで磨きあげた銃身をさらにタオルで拭きあげていく。
 ヒッコリーの目がピカリ、点滅した。
「2人? どういうこったよ」
 自慢では無いが、バカだ、おが屑頭エアヘッドだとしょっちゅう詰られるヒッコリーだ。しかし“バカ2人”なんて言われたことは、ない。
 ようやくボボは顔をあげ、ひとつ瞬きをした。
「お前んとこに配属されたんだろう、ミカニ。アレもリアトス18使いだろう」
「は?」
 ヒッコリーは呆気に取られて声をこぼし、
「はぁああぁぁぁぁあぁぁぁ?!」
 石床を揺るがすほどの絶叫に、ボボが「うるせぇ」と苦言を呈した。

 間もなく日没。
 しかし外部を吹雪に閉ざされたセカンドウェストドームの内部は、昼は薄暗く夜は完全な闇に閉ざされる。闇の訪れは、それに乗じて蠢くエイリアンたちを呼ぶ。
 それを阻止するのが白服の男ホワイトマンの役目だ。
 男たちはそれぞれの任務に向かい、基地内に設けられた射撃場は閑散としていた。明滅する白熱電灯の下、射座に立っているのはただ一人、右頬に滅菌ガーゼを貼ったミカニだけ。
 ミカニは標的を見据え、まっすぐに拳銃——工場での任務で用いた物と同じホワバーX600——を構えていた。
 人差し指を引き金に近づけ、迷いのない動きで引き絞る。
——ターンッ
 軽い銃声があり、75メートル前方に設置されたヒトガタ標的に小口径の穴が開いた。
 赤で小さく円形の印がつけられた『心臓』、その中心だ。
 ミカニは次々と銃弾を放っていく。まるでメトロノームがテンポを示すように、一定の速度で銃痕が穿たれていく。
 脳天に、心臓に、腕に、太ももに。
 誤差は常に数ミリ、一切揺らぐことのない『機械のように』正確な射撃だ。
 そこに声がかかった。詰るための不機嫌な声色だった。
「——何で使わねぇんだよ、リアトス18!」
 ミカニはゆっくりと首を動かし、射手通路を大股で歩み寄ってくるヒッコリーを見た。ただ状況を認識するための、感情の無い動きだった。
 ズン、とヒッコリーはミカニの真向かいに立ち、ズバッとミカニのホルスターを指さした。そこにはミカニが今手にしているホワバーX6000よりも大きな拳銃が下がっている。
 ミカニが静かに口を開く。
「……質問の意図を知りたい」
「意図ぉ? ただ聞きてぇから聞いてんだよ。さっきの任務も、今だって、何でリアトス18を使わねぇんだ。飾りのつもりか? アクセサリーか?」
 怒りを滲ませるヒッコリーに対し、ミカニは淡々と答えた。
「弾が不足している。安易に消費することはできない」
「あ、あぁー……」
 途端にヒッコリーは水をぶっかけられたように怒りのボルテージを下げ、もごもごと言った。
「……まぁそうだな。それは、そうだ」
——リアトス18。
 それはブラントゲートの銃器メーカー『リアトス社』が開発した大型拳銃だった。名称は18発の装弾数から来ている。
 発表は約70年前で、その特殊な性能からガンマニアの熱視線を浴びた。しかし30年前にリアトス社は倒産し、リアトス18が生産されることはなくなった。
 それと同時にリアトス18の専用品である15ミリシロガネウム弾の生産もされなくなった。現在流通しているものは世界各地の倉庫に眠っていたデッドストック品のみ。状態が良いものはもちろん高価で、一般的な弾丸と比べると100倍近くになる。
 ボボがヒッコリーに対して『使うのをやめろ』と忠告してきたのもそれが理由だった。
「じゃあなんでそんなデカいもんを提げてる。爺ちゃんの形見か?」
 弾丸が手に入りづらいというネガティブな要因を無視したとしても、リアトス18は現行品に比べ性能で劣っている。それにも関わらず、合理主義がエイリアンの形をしているようなこの男が携行しているのは何故なのか。ヒッコリーのおが屑頭エアヘッドでは到底推理できなかった。
 ここで初めてミカニの薄い瞼が動き、ひとつ瞬きがされた。
 血の気のない唇がかすかに開いて、舌先が上に、下に、ひらめき、言葉になる。
「……ガルガティア」
「は?」
 ヒッコリーは自らの耳を疑った。この冷血漢が『熱い』名前を口にするなんて、俺の耳はおかしくなっちまったのか?
 そうだ。ふと思いついたヒッコリーは、合言葉を問うように歌いかけた。
「悪を許さぬ正義の心……?」
 ミカニは報告書でも読み上げるように答える。
「……ガルガ・ガルガ・ガルガティア」
「マジか、嘘だろ?!」
 たちまちヒッコリーの目がビカビカビカッ! と光り、ハートが一気に燃えあがる。勢いをつけてミカニの肩を掴んだ。
「お前も好きなんだな、ガルガティア!」
 ギシギシギシ、とミカニの肩が軋む。クメトが場にいればストップがかかるところだが、今はもう止まらない。ヒッコリーは感情のままに揺さぶった。
「なぁ、好きなんだろう?!」
「……好き」
 小さく呟き、ミカニは視線を下げた。
 しばらくの間、ミカニは黙りこんでいた。スイッチを切られたバトロイドのようにぴくりとも動かない。
「おい、なんか言えよ……」
 ヒッコリーがしびれを切らす頃、ミカニはひっそりと唇を開いた。そこに言葉の切れ端が散らばっているとでも言うように、視線を地面に落としたまま、ひとつ、またひとつと言葉を繋いでいった。
「ガルガティアは、人を救うために、戦う」
「あぁ、そうだ!」
「だから俺も戦う。そのためには、ガルガティアが使っている銃が適している」
「その通り! その通りだミカニ!」
 ヒッコリーは首がもげるほど頷いた。
「お前、よく分かってるじゃねぇか!」
 パァンッ! 
 ヒッコリーは力任せに背中をぶっ叩いた。しかしミカニはわずかに身体を傾けただけで根が生えたように動かなかった。銃が上手いだけではなくフィジカルも強い。さすがガルガティアを信じるだけのことはある!
 正義のために戦うガルガティアを幼稚だと大人は笑う。大人は『正義の味方』から卒業し、現実を見なければいけないのだと嘯く。
 だが——いや、だからこそ、ヒッコリーは思うのだ。
 辛い現実を生きる大人にとって『正義の味方』は祈りのように美しい。
 現実に屈して道を見失ってしまいそうになったとき、ガルガティアはまっすぐに道を示してくれる。
——ということをヒッコリーは思っているのだが、言語化力が低いためいつもクメトには鼻で笑われている。
 ガルガティアはこんなに素晴らしいのに、どうして誰もわかってくれないんだ! 歯がゆく思う毎日が何年も、何十年も続いていた。
 しかしその辛く悲しい日々も今日で終わりだ。ヒッコリーの脳内で、リンゴーン、リンゴーンと祝福の鐘が鳴っている。
 改めてミカニの姿かたちを見てみる。
 ガルガティアの素晴らしさを理解する同士であると判明した今、クソダサく見えたセルフレームの眼鏡も、10分なんぼの安い散髪屋バーバーで切っていそうな髪型も、途端にイケてる感じに見えてくる。よくよく見れば顔の造作も悪くない、イケメンだ。ちょっと愛想を覚えればメスエイリアンにモテてモテて仕方ないだろう。
 そのあたりは今後俺が教えていけばいい!
「今日から俺とお前は真友マブダチだ!」
「……真友マブダチ?」
 おうよ、とヒッコリーは右拳を突き出し、お決まりのヒーローポーズを取った。
「お互いに絶対に裏切らない、魂の親友ってことさ!」

     *

 セカンドウェスト支部はおおまかに東西南北に分かれている
 北には司令部や情報部など事務方のオフィスが連なっている。東には白服の男ホワイトマンたちの訓練場や武器庫があり、西は所属しているバトロイドたちの整備ドッグ、南には屋外訓練場が存在する。
 もちろん国家捜査局BBIは違法エイリアンたちからの恨みを買いやすい。そのため建物全体がステルスシステムによって守られているが、このシステムは悪名高い『白の研究所ブラン・ラボ』で開発された技術なのだと、嘘なのか本当なのかわからない話をクメトは聞いたことがある。
 なんにせよ、そのお陰でエイリアンたちの襲撃に怯えることなくクメトたちは職務に邁進することができるのだ。 
 クメトは整備ドッグが連なる西棟の外部通路を歩いていた。びゅうびゅうと強い風が吹いている。自慢の鬣を煽られながら、クメトは眉間に皺を寄せた。
 しかしいくら目を皿にして見ても、嗅覚に頼っても、迷子になった“魔術コンサルタント”らしき人影は見つからない。『見ればわかる』容貌らしいが、すれ違うのは見覚えのある白服ばかりだ。
 これだけ探して居ないのだから義理は果たしただろう。あとで文句を言われる筋合いはない。
 うん、とひとつ頷いてクメトは身を翻した。
 そのときだ。びゅうびゅうと吹く風音のなかに、甲高い異音が混じった気がした。飛行船のエンジン音だろうか? それとも飛び交うバトロイドたちが喧嘩をしているノイズだろうか?
(いや、違うな。これは……)
 耳を澄ます。鼓膜の端に音がひっかかる。
(……人の悲鳴?)
 見上げたときには悲鳴の主が間近に迫っていた。
「——わぁあぁあぁぁぁ!」
 クメトが受け身を取るよりも先に、振ってきた“何か”に押し潰された。クメトは「ぐぇっ」とカエルのような呻きをあげ、腹からべちゃりと倒れ伏す。
 衝撃で視界はブラックアウトし、何が起きたのかさっぱりわからなかった。
 背中は岩が乗っているように重い。しかし岩ではなく、何かの生き物に違いない。
「あぁ失礼! 着地失敗だね」
 生き物は場違いなほど朗らかに言うと、ぱっぱっ、と埃を払い、クメトの背から軽やかに立ち上がった。
 クメトは揺れる頭をどうにか持ち上げ、声の主を見た。
 見かけないデーモンの男だ。ダークステイツならまだしも、ブラントゲートにデーモンは珍しい。
 ゆるくウェーブした黒髪と、口の端に陰影を刻む微笑み、そして隙だらけの物腰から、戦闘員ではないことは予測がついた。しかし彼が纏っているのは常闇色のマントであり、事務職員の白制服でもなかった。
 激突の衝撃が残る頭でクメトがそんなことを考えていると、周りに職員たちが集まってきた。
「なんで空から?」
「誰? 知ってる人?」
「いや、知らない」
 どう捉えても好意的ではない、珍獣を見るような視線を総身に受けて。
 男は舞台の一幕のような優雅さで微笑んだ。

「やぁ、私はケイオス。みなさんご機嫌いかがかな?」