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クレイ群雄譚(クロスエピック)

第4章 歌が聴こえる

作:鷹羽知  原作:伊藤彰  監修:中村聡

第4章 6話 英雄の歌 後編

 魔法技術コンサルタント——ケイオスという男は、自らの仕事をそう名乗った。
 あまりに胡散臭い響きに、その場の全員が思っただろう。
——詐欺師か?
 もちろんクメトもそう思った。場を代表して、おずおずと問いかける。
「それは……どんな仕事をするんですか?」
「良い質問だね!」
 舞台回しの道化師のように声をあげ、ずずいと顔を寄せてくる。その勢いに思わずクメトはのけぞった。
 何なんだ、この人。
「ブラントゲートが科学技術によって発展してきたのは皆も知るとおり。そこに、ダークステイツが誇る魔法技術が加われば、より高い効果を発揮するのさ——例えば、あれ」
 ケイオスは指を立てて頭上を示した。つられてクメトが上を向くと、夕空に小型ヘリが飛んでいた。ホバリング訓練中だろうか?
「あのヘリの搭乗人数は4人だった。しかし内部に空間拡張の魔法を加えることができれば、倍まで搭乗することができる——そう提案するのが私の仕事なんだ」
 おぉ、と周囲から感嘆の声があがった。
 どうやら詐欺師ではないらしい……多分。
 クメトが態度をわずかに軟化させたのと同時だった。
「ま、できないんだけどね!」
 言い放ち、ケイオスは笑いながら空気をバシバシと叩いた。
「は?」
「さっきのはあくまで可能性の話さ。あのヘリ——ケウルフKE-02は製造から3年、まだまだピカピカ、私の魔法は弾かれてしまう。うーん、残念! その可否も含めて判断するのが私の仕事、というところかな」
 なるほど、魔法も万能ではないらしい。
 納得しつつ、クメトはふと違和感を抱いた。ケウルフKE-02、とヘリコプターの名称がスラスラ出てくる一般人は珍しい。
「輸送機、詳しいんですか?」
「うん、今さっきあそこから落ちたからね」
「ヘリから?!」
「なかなか無い体験だからね。いやぁ、はしゃぎすぎた」
 落ちた、ということは勝手に扉を開けたのだろうか? はしゃぐにも程がある。
「君が受け止めてくれなければどうなっていたか。君は命の恩人だよ。ありがとう!」
 命の恩人。そう言われて悪い気はしなかった。
「はは……よかったです。僕に出来ることがあれば、言ってください。便利になるのは大歓迎ですから」
 社交辞令を返したところでゴホッと噎せた。なにせまだ背中はずきずきと痛んでいる。
 しかしケイオスはずずいと近づいてきて、祈るように両手を組んだ。
「そうだ、これも何かの縁だ。基地の案内をお願いできないかな?」
 思いがけない依頼に目を見開いた。
「僕ですか? いや、僕は事務職員じゃないので……」
「事務職員じゃない?」
 ケイオスは首を傾げ、クメトの白服に目を留めた。
「あぁなるほど、君は噂に名高い白服の男ホワイトマンなんだね」
「まぁ、一応……」
 ケイオスの視線から逃げるように目を反らし「職員が探していました。総務室はこっちです」と先だって歩きだした。
 しかし後ろから付いてくるケイオスはクメトの気まずげな背中に気づかないらしく、はしゃいだ声をかけてくる。
「さぞ強いのだろうね」
 クメトは牙を食いしばる。
 何も知らない一般人が悪気なくかけてくる誉め言葉が一番嫌だった。
「こう、悪い奴らをバッタバッタと薙ぎ倒して——」
 肯定するのは居心地が悪い、しかし否定すれば謙遜だと取られる。意図せず大きな声が出た。
「僕は弱いですよ。弱虫猫スケアディ・キャットなんて呼ばれてるぐらいで……本当は事務職員に転向することも考えるんです。多分、そっちの方が向いてる」
 まずい、はっきりと否定したいという気持ちが走って、言わなくてもいいことを話してしまった。しかし一度口から出した言葉は取り消せない。
「そうなのかい?」
「えぇ」
「では、君はどうして白服の男ホワイトマンを勤めているのかな?」
 猫だましを食らったような驚きがあった。
 考えたこともなかった。そうだ、僕はどうして白服の男ホワイトマンを続けているんだろう。
 深く考えるよりも先に言葉がこぼれた。
「……うちの馬鹿を止められるのは僕しかいないんです」
「うちの馬鹿?」
「えぇ。僕がいなきゃ作戦書もまともに読まないような奴で、おまけにガルガティアとかいうドラマのオタク。あだ名、おが屑頭エアヘッドですよ。笑っちゃいますよね」
 これだって初対面の相手に話すような内容ではない。わかっていても、止められなかった。
 ケイオスのコンサルティング業務は長期に及ぶものではないだろう。今後深く関わらない相手だからこそ話しやすいのだろうか?
「二人だけのチームなのかい。それは大変だねぇ」
 魔法にかけられたように口が動いた。
「サポートメンバーはたまに来るんです。でもブリキ野郎ハートレスなんてあだ名がつくような問題児で——……」

    *

 窓からは夕陽が差し込み、射撃訓練場の壁をオレンジ色に染めあげていた。
——閃いた!
 ヒッコリーは上衣のボタンを開け、ミカニに向かって勢いよく左右に開けた。
「ほら見ろよ!」
 内に着ているシャツの左胸には、5cmほどの大ぶりなピンバッジが飾られている。
 ミカニは事務的な視線を向け、淡々と口を開いた。
「見た」
「それだけじゃねぇだろ? ほら、こう、もっと! な? お前もガルガティアが大好きなんだろ?」
「違う」
「そう照れるなって。俺に言いたいこと、あるんじゃねぇか?」
 ファンなら絶対に反応するはずだ。せずにはいられないはずだ。
 くいくいくい。ヒッコリーは手招くような仕草でコメントを要求したが、ミカニは瞬きすらせず答えた。
「無い」
「だ〜〜〜〜っ! 放送50周年記念ピンバッジだよ! 1分で完売した!」
「そうか」
「“そうか”?! ちょっとは驚けよ!」
「ガルガティアの作中に服飾品に対して驚くシーンは無かった」
「あるかよ、ガルガティアはピンバッジ見せないだろ! レアグッズ自慢してんだから、ちょっとは羨ましがってくれってこと!」
「業務命令であれば対応する」
「こんな業務命令出さねぇよ! そうじゃなくってさ……まぁいいや……」
 は——……
 ヒッコリーは深い溜息をついた。顔を覆った指の隙間からミカニを見ると、その表情は微動だにしていない。
「ミカニお前さ、天然って言われるだろ?」
「言われない」
「あっそ。じゃあ断言するぜ、耳をかっぽじって聞け。お前は天然だよ、ド・天・然!」
「天然」
 ミカニは初めて耳にした異国の言葉のようにそれを繰り返した。
「おう。かなりボケのクセ強いぞ。ツッコミのチューニングが間に合わねぇよ」
「ボケの、クセ」
 ミカニはまた、初めて聞いた異国の言葉のように繰り返す。
「楽しみな新人くんだぜ、まったく」
 やれやれ、とヒッコリーは肩を竦めた。
 ヒッコリーは好きなものを隠しておけないタチで、ヒーロー趣味について嘲りの言葉を投げられたことは一度や二度ではない。苦い思いをしたことは数知れず。
 しかし同好の士が集まるコミュニティならまだしも、日常のなかでガルガティアファンに出会う確率はゼロに等しい。こうしてミカニに会えたことは奇跡だ。
 どうにかしてミカニのボケを乗りこなし、ガルガティアトークをしたい。してみせる!
 心臓から全身に血が巡り、轟々と音を立てているのが聞こえるようだった。まぁ心臓無いけどさ。
 心の中で自己完結型のボケとツッコミをしたところで、気合に水を差す粗暴な声が聞こえてきた。
「おい、おが屑頭エアヘッド!」
(……なんでまだ居るんだよ、さっさと任務行けよな)
 うんざり顔を隠さず、のろのろと振り返る。
 ドシドシと足音を立てて近づいてきたのは、ヒッコリーの予想通りゴリラのワービーストだった。
 露骨に顔を歪めつつ、ミカニの耳元に顔を寄せる。
「(あいつはギルネ隊のリーダー、ギルネ。俺はバカマッチョって呼んでる)」
「そうか」
 ミカニは生真面目に相槌を打った。
 ギルネの身の丈はヒッコリーと同じく約3メートル。ただし機動力のために無駄なパーツを省いているヒッコリーに比べ、筋肉隆々のギルネの姿は“無駄にデカい”。身長に対して顔が大きいこともその威圧感に一役買っているだろう。
「(いっつも突っかかってくんだよ。多分俺がイケメンで十五頭身だから)」
「そうか」
「(お前もまぁ多分イケメンだし八頭身だから気をつけろよ)」
「了解した」
 ドシドシドシ。目前まで寄ってきたギルネは巨大な拳で地面を叩き、唇をめくって嘲笑を作った。
「フララートの取引事件の担当者、お前だろう」
「それがどうしたってんだよ」
「おら見ろ」
 ギルネは右腕を突き出した。そこにはシルバーの金属製のアタッシュケース——つい昨日ヒッコリーたちが任務で得たもの——が握られている。
 基地に戻ったあと分析班に引き渡したはずだが。
「何でテメェが持ってんだよ」
「さっき開いたぞ。中は空だった。無駄骨ご苦労様」
「はぁ?」
 適当にあしらおうと思っていたが、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
 記憶メモリーをひっくり返し、ヒッコリーは作戦書に書かれていた文面を思い出した。
「ドラッグの取引現場って話だったぜ。じゃあ連中、空のアタッシュケースを大事に大事に受け渡してたって言うのかよ。ンなわけあるか」
「いーや?」
 ギルネは底意地悪い笑みを深くした。
「アタッシュケースにはぶつけたみてぇな傷があった。相当雑に扱われたらしいな。身に覚えは?」
「ギクッ! ……し、知らねぇけど? なぁミカニ?」
 ヒッコリーの脳裏にはアタッシュケースで銃弾を受け、さらには少女を人質に取った黒服に対して雑にぶん投げた記憶メモリーが思い出されている。
「俺が知る限りでは特筆するほど粗雑に扱われてはいなかった」
「ホラな!」
 ミカニが到着したのはアタッシュケースが黒服の男たちの手に渡ったあとだ。ヒッコリーは堂々と胸を張る。
 が、
「俺が到着する前については関知しない」
「ってオイこら!」 
 入っているのはドラッグという話だった。ちょっと燃えたところで悪者共が困るだけ。可愛らしい少女を救うために雑に扱ったところで責められる筋合いはない。
 そうだろう?
「文句なら情報部スピアに言え、俺は任務をこなしただけだ」
「……スピアに? スピアか……」
 そこでギルネは逡巡するように眉間に皺を寄せた。
「おう、今すぐ言ってこい。どうした、いつもの威勢は」
「バカかテメェよ、女子に文句なんて言えるか。可哀想だろ」
「女子ィ?!」
 制御が効かず、最大音量の絶叫が出た。
 こいつ、マジで頭大丈夫か? 筋トレしすぎて頭のネジを全部落としちまったのか?
 バカにするよりも心配が先に立ち、ヒッコリーはギルネの両肩を掴んだ。
「エルフだぞ、お前の何倍生きてるかわかりゃしねぇ」
「歳より顔だろ。あれだけのマブ、見たことねぇよ」
「へー、マジ?」
 ヒッコリーは本気で感心の声をあげてしまった。
 長い角を持つものが『マブ』になる種族がいる、鮮やかな羽を持つものが『マブ』になる種族がいる。このあたりはわかりやすい。しかしエルフの顔かたちの良さはトータルバランスによって決まるため、他種族のヒッコリーには美醜の判断がつきづらいのだ。
 さらにブラントゲートでエルフは比較的珍しく、スピアの出身も他国だと聞く。個人の持つ特徴が種族固有のものなのか、特に優れているのかがわかりづらいのだ。
 本題も忘れ、ヒッコリーが「なるほどなぁ」と頷いていると、そこに女の声がした。あまりのタイミングの良さに、ヒッコリーは一瞬幻聴を疑った。
「ハァイ。盛り上がってるとこ悪いんだけど、ちょっといい?」
「い゛っ!」
 ギルネは飛び上がり、弾かれたように振りかえった。
 スピアが指で髪先をいじりながら、気だるげに立っている。
 ギルネは面白いほど動揺し、下手な愛想笑いを作った。
「ス、スピア、調子はどうだ? 俺様は絶好調だぜ!」
「あっそー」
「聞いてくれ、俺が言いたかったことは、つまり」
「アタッシュケース回収しに来たの。さっさと頂戴」
「お、おう」
 言い訳を遮られ、ギルネは断罪される罪人のようにアタッシュケースを差し出した。
 容赦なく毟り取り、スピアはしゃがんでアタッシュケースの鍵に手をかける。しかし、ガチッ、と内部機構が上手く噛み合っていない異音が響いた。
「ちょっと、開かないんだけど」
「あぁ、特殊キーになってて開かねぇんだ。だが側部に歪んでできた隙間があるだろう? 雑に扱ったせいだろうな。そこから検査は終わってる。中が空なのは確かって話で——」
「ヒッコリー、ちょっと貸して」
 スピアは脇に手を伸ばし、ヒッコリーの脚部ホルスターからリアトス18を取りあげた。流れるようにコッキングする。
「え」
 止める間もなく鍵に向かって銃をぶっ放した。
 爆竹を重ねたような轟音が響き、ヒッコリーは思わずのけぞった。
 おいおい、マジかよ!
 自分の組んだ任務を『無駄骨』と評されてスピアは相当頭に来ているらしい。
 戦慄するヒッコリーたちには構わず、スピアは至近距離からの銃撃によって捻れた鍵を叩き落とし、アタッシュケースを開けた。
「……何これ」
 スピアは声を漏らす。ヒッコリーは身を屈め、上からアタッシュケースを覗きこんだ。
 中はギルネが言った通り空だった。しかし灰色がかったカーボン製の底面には、白く掠れた文字でこう書かれていた。

 あぁ、アタシのキング
 あなたの女王クイーンは王宮で待っています。
 恋はふさわしい場所で始まるべきですもの。

「キッショ、夢見がちなティーンのポエムって感じ?」
 容赦なく評価を下しつつ、スピアは鋭い視線を内部に走らせた。
 底面や四隅には煤をなすりつけたような薄汚れがついている。ドラッグというものは白や黄色の粉に加工された物が多く、次にカラフルに色づけされたラムネ状の物が多いだろうか。変わり種として合成樹脂や紙に混ぜこんで精製されたものがあり、今回の任務は紙状ドラッグという話だった。
 スピアは、すん、と内部の臭いを嗅いで顔を顰めた。
「ドラッグじゃない。なんだろこの臭い……出し忘れた生ゴミって感じ……まぁいいや」
 バタン、とアタッシュケースを閉じてスピアは立ち上がった。忌々しげに金髪を掻き上げる。
「ここに入ってなきゃいけなかったドラッグは、“緑の女王クイーン”。フララートの連中はそう呼んでた」
「……女王クイーン
 ヒッコリーはアタッシュケースを見つめた。
 入っていたはずの女王は無くなった。女王は王宮で待っている——?
 わけがわからない。馬鹿のヒッコリーにはさっぱりだ。
「聞いたことないし、どうせ混ぜ物たっぷりの粗悪品だろうとウチらは予想してたんだけど……フェイク情報を掴まされた? ううん、そんなはず……」
 スピアはぶつぶつと呟き虚空を睨んでいる。
 機嫌が悪いときのスピアは、火のついたダイナマイトよりもおっかない。ヒッコリーはスピアを刺激しないようそっと問いかけた。
「何か手伝えること、アリマスカ?」
「あんたはとりあえず基地内で常時待機、すぐ出動できるようにして。女王クイーン、絶対に追い詰めてやるから」
「ハイ」
 ヒッコリーは借りてきた猫のように頷いた。
 情報部はあくまで情報を探る立場であり、指揮権は司令部が持つ。作戦を承諾しゴーを出すのも司令部だ。しかしスピアが担当する案件に関して言えば、彼女の提案にノーを出せる者は居ないため実質的な指令は彼女である。
 噂では、司令部全員の弱みを握っているからとも、長年の勤務生活のなかで司令部員たちがスピアに頭があがらないからとも言われている。
「じゃ」
 素っ気なく言って、スピアはヒールを鳴らして身を翻した。ギルネは追いすがるようにその横に並んだ。
「なぁ、アタッシュケース重いだろ。運ぶぜ」
「別にいーよ。重いほうが好きだし」
 スピアは手を伸ばし、ギルネの頭を指先で叩いた。コン、と軽く小気味の良い音がした。
「もうちょっと脳みそ詰めて出直して」
 ギルネは返す言葉すら見つからないのか、ただ呆然と立ち尽くす。
 カツカツカツカツ——足早なヒールの音が遠ざかっていった。
「(バ————カ!)」
 絵になるほど憐れな後ろ姿に、ヒッコリーは身体をよじって爆笑した。堪えきれずにミカニの背中をバンバン叩く。
 と、ギルネが勢いよく振り返った。黒みを帯びたその顔が、今はのぼった血の気で赤く染まっている。
「俺はなぁ!!!」
「声、デカ」
「俺は今の連続爆発事件で連隊長に出世する!」
「ホントかぁ?」
 最近頻発している連続爆発事件には、確かにギルネ隊もアサインされている。目立った功績をあげれば連隊長になることは可能だろう。しかし捜査は難航し、爆破被害は収まっておらず、犯人も見つかっていない。
 ギルネもヒッコリーと同じく頭を使うよりも身体を動かすほうが得意な脳筋タイプだ。そうそう上手くいくものだろうか?
「お前は俺が出世するのをただ“待機”して見てな!」
「ぐぐぐ……」
「ハッハッ、悔しいだろ悔しいだろ!」
 正直、悔しい。
 “緑の女王クイーン”が見つかったとしても所詮は麻薬捜査だ。連続爆破事件を止める任務とどちらがヒーローらしいかと考えれば、答えは明白だった。
 しかし担当事件に文句をつけるのはヒーローのやることではない。
 ヒッコリーはギルネに向かって人さし指を突きつける。
「見てろ、あっという間にこっちの事件を解決して、そっちの事件も解決してやるぜ」
「はっ、おが屑頭エアヘッド弱虫猫スケアディ・キャットの二人でどうやって?」
 ギルネの煽りに乗って、ヒッコリーはミカニの肩をガシッと掴んだ。
「こいつがうちの新兵器、ミカニだ!」
「俺は臨時サポートだと聞いているが」
 ミカニは至極冷静な声音で指摘してくる。
「言っただろう、俺たちはマブダチ、お前は今日からうちの隊! わかったな!」
「わかった」
「この通り、俺たちヒーロー二人・・にかかりゃ、どんな事件も一発解決よ」
「ハッ、口を開けばヒーロー、ヒーロー。ガキかよ」
 気勢を削がれたのか、ギルネは紅潮していた顔を素面に戻してせせら笑う。
「じゃあな、ポンコツヒーロー共。連隊長になったらこき使ってやる。楽しみにしとけよ!」
「それはこっちの台詞だぜ!」
 去って行くギルネの背中に、ヒッコリーは威嚇するようにオレンジの目をビカビカ光らせた。
「イ——ッ! アホバカ間抜け腰抜けゴリラ! ウンコ!」
 ギルネが消えるのとほぼ同時に、深い溜息が聞こえてきた。
「まったく……子どもじゃないんだから」 
 耳にたこができるほど聞いた声。 
 何だよ、聞いてたんじゃねぇか。
 見やれば、通路から射撃訓練場への出入り扉が開いてクメトが顔を覗かせた。
「うるせー、よ……?」
 ヒッコリーの語尾が疑問形になったのは、クメトに続いて入ってきたのが見知らぬデーモンの男だったからだ。
 種族の違いもあり、年齢は正直わからない。殺風景なモルタル壁に、ダークカラーの衣装がひどく不釣り合いだった。どう見ても基地内の人間ではない。
「どちらさん?」
 男は演技じみた仕草で両腕を広げた。
「ご機嫌いかがかな。私はケイオス、魔法技術コンサルタントだ」
「へぇー、胡散臭いっスね!」
 肩書はもちろん胡散臭いが、ケイオスという男が持つ雰囲気が何より胡散臭い。
「おや、そうかい?」
「(ちょっとヒッコリー、失礼だよ)」
 と小声でクメトが叱ってくる。しかし強い語調でないところを見るとクメトもそう思っているらしい。
 ケイオスという男は肩書きに相応しい捉えどころのない微笑を浮かべ、ヒッコリーとミカニを交互に見た。
「君がおが屑頭エアヘッドのヒッコリーくんで」
「うわ、それクメトから聞いたんですか」
「そして君がブリキ野郎ハートレスのミカニくん」
「はい」
 ミカニは数ミリ頷いた。
「お前そんなあだ名付いてんのかよ。ひでーな!」
 確かに機械的な受け答えをするミカニだが『心が無いハートレス』は言い過ぎだろう。目が死んでる、天然、ズレてる。このあたりが妥当なところじゃないか。
 そんなことを考えていたヒッコリーだが、そこでふと思い出したことがあった。クメトに向かって口を開く。
「そうだ。今さっきスピアが来てさ。俺たちは指示があるまで待機だってよ。は——待つのが一番しんどいんだよな」
「……あのさ、そのことなんだけど」
 小声で切り出したクメトは、ヒッコリーの目を見なかった。
「……ケイオスさんに基地内を案内するよう頼まれたんだ。そっちを優先したい」
 ヒッコリーは我が耳を疑った。
「はぁっ? 任務はどうするつもりだ」
「“俺たちヒーロー二人・・にかかりゃ、どんな事件も一発解決”なんだろ? じゃあ、僕みたいな腰抜けなんて必要ないじゃないか」
 つい先ほど売り言葉に買い言葉で出た台詞を繰り返され、ヒッコリーは「は?」と声をあげた。
「……お前、盗み聞きしてやがったな?」
「聞こえるくらい大きな声だったんだ。そっちが悪い」
「お前はいつもいつも細かいことばっか気にしやがって。言葉の綾だろ、そんなもん」
「ヒッコリーが雑すぎるんだろ。もうやってられない」
「あぁそうかよ! お前がいない間に俺たち二人が事件を解決したって知らねぇからな?」
「そ、精々がんばって」
「行くぞ、ミカニ」
 ヒッコリーはミカニの肩を掴んで射撃訓練場からの退出を促した。ミカニは抵抗せずそれに従い、歩み去るヒッコリーの後ろに続く。
 険悪なムードが漂うそのまっただ中を、ケイオスは
「何だか大変みたいだねぇ」
 と他人事のように笑っていた。
 

 ヒッコリーとクメトの同僚としての付き合いは、研修機関アカデミーを出たヒッコリーがセカンドウェスト支部に配属になって以来7年に及ぶ。他のメンバーがいた時期もあるが、二人だけのチームとしてやってきた期間のほうが長かった。
 もちろんお互いに欠点がないとは言わないが、それなりに上手くやってきたつもりだ。走りがちな自分と止まりがちなクメト、結構いいコンビだっただろう? 今さらキレられても、こっちには打つ手がない。
(そっちがその気なら、こっちは新しい相方と楽しくやるさ!)
 ヒッコリーは半歩後ろのミカニへと視線を投げる。
 促されるまま訓練場を後にしたミカニは、戸惑うでも訝るでもなく、意思を持たない機械のように足を動かしついてきた。
 天井を睨み、ヒッコリーは考える。
 腐ってもヒッコリーはリーダーだ。そんな自分が新たなチームメンバーとすべきことは何だ?
 ごちゃごちゃと考える必要はなかった。答えはすぐに出た。
「ミカニ」
 呼びかけて足を止める。身体をターンさせミカニへと向き直った。
 ヒッコリーはいつになく表情を真面目なものにして、ミカニの首元へと手を伸ばす。襟を掴んで左右に広げると、鎖骨が露わになった。
「業務命令だ——脱げ」
 するべきはたったひとつ。
 そう、ガルガティアの話をしなければ。

 ミカニを乗せ、ヒッコリーが車で向かったのはアーケード街の中心にある商業ビルだった。バーや古着屋などの小規模ショップが店を構えるその中に、ヒッコリーの行きつけはあった。
 地下駐車場に車を停め、運転席から降りる。行くぞ。顎で促すと、ミカニは黙って着いてきた。
 ヒッコリーに命じられるまま白服を脱いだので、ミカニはグレーの地味なTシャツ姿だった。3枚いくらで投げ売りされていそうなシンプルなデザイン。予想通りと言うべきか、無難と言えば聞こえはいいが、まったく個性というものが感じられないファッションだ。
 対するヒッコリーは胸に大きくガルガティアが印刷されたシャツを着ていた。身体が大きい分プリントサイズも通常より大きく、ガルガティアロゴの赤がよく見える。
『トイショップ ケラダンマ』
 看板の出ている店の自動ドアをくぐると、ヴィンテージ品特有の埃っぽい香りが二人を包みこんだ。
 ケラダンマはドーム内最大規模のトイショップだった。買い取りと中古品の販売も行っており、特にヒーローものの品揃えが豊富で、他のドームから足を運ぶマニアも多い名店だ。
 通路は狭く、壁にも棚にもぎっしりとオモチャのボックスが積まれ、天井を埋め尽くしていた。
「どうよ」 
 振り返ってミカニを見れば、男は相変わらずの無表情でオモチャの山を見つめていた。 
 ミカニはつい最近セカンドウェスト支部に赴任してきたらしい。ということは、引っ越してきたのはつい最近のはずだ。まだケラダンマに来てないんじゃないか? そうヒッコリーは予想していた。
 なんだよ、もうちょっと驚いてくれよな。
 焦れたヒッコリーは質問を重ねた。
「ここまでデカいショップ、センタードームにも無かっただろ?」
「判断できない」
「判断できないって、そりゃどういう……」
 可能性に思い至り、ヒッコリーの瞳がオレンジ色にビカッと光った。
「まさか——ミカニ、今までトイショップに行ったことは?」
「無い」
「じゃあグッズは全然……」
「持っていない」
「カァ〜〜〜〜マジかよ! テンション上がっちまうじゃねぇか!」
 この世には娯楽が無数に存在する。
 例えば食事をすること、音楽を聴くこと、買い物をすること、スポーツをすること。
 ヒッコリーは思う。
 初心者に教えること、それは娯楽のうちで最も楽しいことのひとつだと。
「行くぞミカニ!」
 ヒッコリーは大きな身体を限界まで小さくして、棚と棚との間を通り抜けていく。その後を、ミカニは聞き分けの良い子どものように付いてくる。
 辿り着いたのは、店の奥も奥、蛍光灯の明かりもぼんやりとしか届かないような一角だった。
 ガラス張りのショーケースには擦れたゴシック体で『ガルガティア』と記されており、様々な商品が並べられていた。
 変身アイテムをかたどったプラスチック製のオモチャや、敵を模した消しゴムなどの小さなもの。ほとんどは安価だが、時に目を瞠るほどの高値がついている物もある。
 ヒッコリーはショーケースに飾られたカードを指し示した。ポテトチップスのなかに封入されていたランダム商品だ。飾られているのは箔押しのスペシャルレアで、衝動買いするにはやや厳しい値段がついている。
「このカード、5年くらい前に流行ったんだよな。でも他作品とごちゃまぜのトレーディングだから自引きがかなり厳しくてさ。俺はムキになって自引きに拘ったから毎日クメトにポテチ食べさせて——」
 そこでヒッコリーは湯水のように溢れる言葉を止めた。ミカニが何かを熱心に見つめていることに気づいたからだ。
 視線の先には、ガルガティアがシリーズの中盤で使っていたジャスティスブレイドの模造刀があった。
「おぉ、珍しいもん置いてるな」
 それはプレミアムヒーローと呼ばれるシリーズで、子ども向けのオモチャとは比べものにならないほどリアルに作られている。定価はもちろんクオリティに伴い高額で、生産数も少なく、ヴィンテージ品ともなれば二度見では済まない市価がつく。
 棚にはジャスティスブレイドを目玉として、プレミアムヒーローシリーズがいくつも並んでいた。なかにはヒッコリーですら初めて見たものがある。
「欲しいな……まぁプレミアムヒーローは結構値が張るからな……ゲッ」
 値段のゼロを数えてしまい、潰れたカエルのような声が出た。ヒッコリーの一ヶ月の給料を優に超えている。
 そっと見なかったことにして、ヒッコリーは隣のガラスケースを指さした。そこにはヒッコリーが今着ているシャツのようなアパレルや、日常使いできそうなペンケースなどが置かれている。
「最初はこのあたりからちょっとずつ集めていけばいいんじゃないか?」
「——いや」
 ためらいのない、はっきりとした拒否だった。
 思いがけない反応にヒッコリーはやや面食らい、すぐに内心で「なるほどな」と呟いた。
 オタクにも様々なタイプがいる。
 グッズを買い求め、成りきりを楽しむタイプ。
 グッズには興味を示さないが、作品の考察を楽しむタイプ。
 そのほか『推し方』は千差万別だが、ヒッコリーは完全に成りきりタイプであり、リアトス18を使っているミカニもそうだと思い込んでいた。
 しかしどうやら間違っていたらしい。作品への愛を示す方法は人それぞれ、自分のオタ活が正しいのだと相手に押しつけてはいけない。
「そうだよな、別に無理してグッズを買う必要は——」
「全部買う」
「は?」
 聞こえた音をとっさに飲みこめず、ヒッコリーは我が耳を疑った。うん、確かに「全部買う」って言ったな。
「いくらになるのか分かってるのか?」
 もしかして眼鏡キャラのくせして計算に弱いタイプだったりする?
「わかっている」
 ミカニは財布を取り出した。黒革製のそっけない財布の中から、キャッシュレス決済用のカードが出てくる。
 あ、こいつ本気だ。
 理解したヒッコリーは笑い出してしまうのをどうにか堪え、ミカニに腕を伸ばして肩を組んだ。
「お前……最高じゃん!」

 ミカニは本当にショーケース内のガルガティアグッズを買い尽くしてしまった。もちろん自力で持ち帰れるような量ではないので郵送の手続きが必要となる。
 店員に渡された液晶端末に必要事項を打ちこんでいるミカニに、ヒッコリーはしみじみと言った。
「お前本当にガルガティアが好きなんだな」
違う・・
「おいおい、照れんなって!」
 手続きを済ませて店から出ると、すでに夕陽は落ちきって、街には夜の闇が満ちていた。車のハイビームやネオンサインが煌々と輝き、視界が白く眩むほど。今からがブラントゲートの狂騒がその本領を発揮する時間だ。
 ヒッコリーは遠隔操作キーで車のドアを開けながら、ミカニへと声をかけた。
「家どっち? 送ってくぜ」
「必要ない」
「遠慮すんなって。あ、こっから近いのか?」
「いや」
「なら——」
 ミカニはヒッコリーの声かけを無視して、そのまま飲食店が立ち並ぶ道を歩いて行ってしまった。
「ちぇっ」
 1回グッズショップ巡りをしたぐらいでは、家を教えるほどの親密度には達しないらしい。
 まぁまだこれからだしな。
 自分を納得させたヒッコリーは小さくなっていくミカニの背中に声をかけた。
「じゃあなクメト、また明日!」
 言ってすぐに、自分の失言に気が付いた。
「——あ」
 振り返ったミカニがヒッコリーを見ている。ヒッコリーは手で顔を覆いながら首を横に振った。
「頼む、忘れてくれ」
「善処する」
「真面目かよ……」
 ミカニが雑踏に姿を消したあと、車に乗り込んだヒッコリーは天井を仰いだ。
「あーチクショウ……」

 翌日、翌々日、そして翌々々日。
 待機命令を下されたヒッコリーとミカニに出動の声はかからなかった。
 ヒッコリーはリアトス18の手入れと仮想現実装置でのシミュレーション訓練で「GO」の声に備えたが、事態に変化は訪れなかった。
 訓練室で模擬銃を構えるヒッコリーの後ろを、連続爆発事件にアサインされたギルネたち白服の男ホワイトマンたちが忙しそうに出入りする。「あいつ何してんの?」「あぁ、あれはさ……」という声が耳に入ってくる。ヒッコリーは聞こえないふりをして、仮想現実内の音声に集中する。
——ミッションコンプリート、あなたの成績は現在1位です。
 鳴り響くファンファーレ。しかし華々しければ華々しいほど、虚しい。ヒッコリーはヘッドギアを荒っぽい手つきで毟り取り、訓練室を後にした。
 クメトが居たら、きっとこんな状況も愚痴混じりに笑い飛ばせたよな。
 この3日間でケイオスの案内役として働いているクメトの姿を何度か見かけた。
 許諾を取るためだろうか、事務職員とやり取りをしている横顔は、ヒッコリーと任務についているときよりも、よっぽど頼もしく見えた。
(まさか、このまま白服の男ホワイトマンを辞めるなんて言わないよな?)
 口の悪い冗談として「もう辞めてやる」という言葉が飛び出したことは一度や二度ではない。しかしそれは冗談であって、実現することのない笑い話だと思っていた。
(あー、クソ! ウジウジするなんてヒーローらしくねぇだろ!)
 ヒッコリーは気分を入れ替えるように両頬を叩く。
 そうだ、ミカニはどこにいる?
 ヒッコリーは訓練室を出て、どこかで待機しているはずのミカニの姿を探した。しばらく基地内をうろついて、見つけた。
 ミカニはロッカー室のベンチに座り、微動だにせず真正面を見据えていた。静止彫刻スタチューパフォーマンスのようなミカニに、ヒッコリーはそっと声をかける。
「……何してんの?」
「待機している」
「いや、そうだけど。そう・・じゃねぇだろ」
 さすがのスピアも『待機』を命じてその間なにもするなと言ってこないはずだ。たぶん。
 ヒッコリーはミカニの隣に腰を下ろし、そっと声をかけた。
「お前のガルガティアの好きな話数なに?」
 チーム員と交流を深めるのも業務の一環だろう。しかしミカニはこちらを一瞥すらせず、真正面を見据えたまま動かなかった。
「なー、答えろよ」
「待機と言われている。業務に関わらない会話は不要だ」
「いや、だからそう・・じゃねぇって!」
 しかしそれでもミカニからの応答はなかった。
「相変わらずボケのクセ強いな……」
 ついにヒッコリーはミカニと会話することを諦め、トボトボとロッカー室を後にした。その足で向かったのは、情報部の執務室だ。スピアを始めとする情報部員たちが集っている。
(今の状況を聞くぐらい、良いよな?)
 ヒッコリーは大きな身体を小さくして、なるべく足音立てないようにフロアを進んだ。
 3日ぶりに見るスピアの姿には、疲れがありありと現れていた。珍しい。
 いつもならば完璧な角度で巻かれている金髪が、今はスタイリングされておらずナチュラルな下ろし髪になっている。カラーコンタクトを外しているらしく、瞳は自前の梔子色だった。褐色肌の目尻に、いつ引いたのかわからないアイラインが滲んでいる。
 あぁこれ、話しかけたらマズいやつだな。
 空気を読めない、と散々クメトに叱られてきたヒッコリーだが、さすがにその程度の分別はついた。
 触らぬ神に何とやら。ヒッコリーはUターンしようとしたが、それよりも先にスピアが気づいた。片眉がぐっと持ち上がる。
「なにー?」
 気だるげに伸ばした語尾はいつも通りだが、その底に隠しきれない疲労がある。
「あ、あのさ、何か俺に言いたいことって無いか?」
「無い」
「じゃあ何か手伝えることとかあったり、無かったり……」
 スピアはその爪を、剣のようにヒッコリーの喉笛へと突きつけた。
「窓拭き、便器掃除、ポスターの張り替え、以上」
「……はい」
 掃除道具と張り替え用のポスターを持たされて情報部を追い出された。
 次にヒッコリーが向かったのは、ボボの武器庫だった。
 防火扉を足で開け、いつも通りの陽気な声を作る。
「よ、大将! 調子はどうだ?」
 パイプ椅子で背中を丸めているボボは振り返りもしなかった。
「帰れ」
「なんだよ、ちょっと聞きに来るだけなんだから良いだろ?」
 はぁ、とボボは深い溜息をついた。
 そこにはどこか憐れむような響きが混じっている。何だなんだ、今日はどうした? 腹具合でも悪いのか?
 ヒッコリーが訝しく思っていると、ボボは膝の痛みを気にしつつゆっくりと立ち上がった。その手には、整備したばかりの拳銃が握られていた。白銀に輝いており、見るからに最新式といった雰囲気だ。
 ヒッコリーへと差し出した。
「オラ、これをやる。メインで使え。真白勇隊ホワイト・エースのイェラが一代前に使ってたのと同型だ。文句はねぇだろう」
「おいおい、いきなり何だよ。サブの銃なら足りてるし、メインをリアトス18から変えるつもりはねぇよ」
「……そうか」
 ボボは暗い表情のまま移動して、壁際に備え付けられたガンロッカーを開けた。
 なんだなんだ?
 ヒッコリーが後ろから覗き込むと、中には段ボールで梱包された銃弾が積まれていた。そのうちのひとつには“シルバニウム弾”と擦れた文字で印刷されている。
「おぉ、あるじゃねぇか! オヤジも人が悪いな! ドッキリってやつか?」
「……」
 ボボは黙ってシルバニウム弾の箱をひっくり返し、銃弾をざらざらと手のひらに載せた。その山を黙ってヒッコリーへと突き出してくる。
 受け取ったヒッコリーは、呻くように声を漏らす。
「……オヤジ」
 幾十ものシルバニウム弾はどれも本来の色がわからなくなるほど錆びついていた。装填することは可能だろうが、良くて弾詰まりジャム、悪ければ暴発。到底実用に足るものでない。
 ボボは座っていたパイプ椅子に座り直し、何ごともなかったように作業を再開していた。こちらには目もくれずに、くぐもった声を漏らした。
「これ以上は見つからねぇ。諦めろ、ってのはそういうことだ」
 

 武器庫を出たヒッコリーは、薄暗い地下通路で白銀に光る銃『ナルドGX-3』を見つめた。軽く携帯端末で調べてみると、特殊なエネルギー弾に対応しており、旧式の銃よりも威力と精度において優れているという情報が引っかかった。
「オヤジの好意を無碍にするわけにゃいかねぇよな!」
 取り出しやすい脚部ホルスターに仕舞おうとして、すでに収まっているリアトス18が目に入った。長い逡巡の後に、ナルドGX-3はジャケットの内部ホルスターに納めた。
 これを使えば弾切れを心配することは無くなる。人の命がかかっている仕事だ、迷う余地はない。
「そんなこたぁわかってるんだよ……」
 食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れた。
 胸の奥から突き上げてくる衝動を堪えるため、ヒッコリーは携えていたポスターを広げた。
 すでに掲示されていた物を剥がし、新しいものと張り替えていく。
「よし、完璧」
 気持ちを切り替えるため、あえて独り言のボリュームを上げた。
 するとそこに、どこからかゴソゴソという物音が重なってきた。段ボールと何かが触れ合うような、乾いた音。
 何だ?
 音がした左方に首を向けると、武器庫用の資材段ボールが積まれた物陰に、黒く蠢く影があった。
 一瞬不審者を疑ったが、違った。ケイオスが段ボールの死角に隠れるようにして身体を小さくしているのだった。
「……何してるんすか?」
「シッ、静かにッ」
 ケイオスは首を左右にきょろきょろ巡らせて辺りを警戒している。
「今私は“迷子”になっているところなんだ。またの名を、脱走という」
「……脱走? 誰から」
「クメトくんから」
「いや、何でだよ」
 思わず敬語を忘れて突っ込んだ。
「いやぁ、クメトくんは案内役として優秀でね。無駄のないスケジュールを組んでくれるんだ。それはもう、びっちりと」
「あぁ、やりそうですね、あいつ」
「だから脱走……じゃなかった、迷子になることにした、というわけさ!」
 溌剌と言われ、反応に困った。
 距離感やテンションが独特だとは思っていたが、思った以上に奇人変人の類だ。社会人としてのコミュニケーション能力を総動員してヒッコリーは質問を絞り出す。
「そんなに大変なんすか、魔法技術コンサルタント……? でしたっけ」
「うん、なかなか難航中だね。このままでは給料泥棒として蹴り出されてしまうかもしれない」
「そりゃあ大変っすね」
 上手く親身になることができず雑な慰めの言葉をかけてから、ヒッコリーはポスター張りの作業に戻った。剥がし、丸め、新しいものを広げ——それを眺めていたケイオスは、ヒッコリーが張り替えようとしているポスターに興味を引かれたらしい。
 物陰から半身をのぞかせ、首を傾げた。
「これは?」
真白勇隊ホワイト・エース……うちのエース部隊の一般向けアピールポスターですね」
 ヒッコリーは画鋲を刺しながら答えた。
 大判ポスターには、銃を構える白服の男ホワイトマンたちの写真が華やかに印刷されている。これを目にした少年少女は、間違いなく白服の男ホワイトマンへの憧れで胸を躍らせるに違いない、と自信をもって言えるデザインだ。
 ふむ、とケイオスは小さな声を漏らした。
「ずいぶんと立派だけど……君たちはスパイ的な存在じゃなかったかな? いつもこんな風に派手な広告を?」
「あぁ、真白勇隊ホワイト・エースだけは別なんです」
「どうして?」
真白勇隊ホワイト・エースが戦う姿が違法エイリアンの抑止と市民の安心に繋がるから。まさにヒーローって感じっすよね」
 ヒッコリーのような一般隊員に与えられる白服は、真白勇隊ホワイト・エースがまとうそれとデザインが全く異なっている。ガルガティアのモチーフも、真白勇隊ホワイト・エースだった。
「もちろん、ヒッコリーくんもその真白勇隊ホワイト・エースを目指しているんだろう? その銃で!」
 ケイオスはヒッコリーの脚部ホルスターにかかったリアトス18を指し示した。ヒッコリーは言葉に詰まる。
「これ……は……その、もう使えないんです。飾りですね」
「どうして? とても綺麗に見えるけどね」
「弾が無いんです。……ほら」
 ヒッコリーは胸ポケットのカートリッジケースを取り出した。中には、武器庫から持ってきたシルバニウム弾が未練がましく並んでいるが、残らず錆びついており素人目にも使えないことは明らかだ。
「ずいぶんと古いようだねぇ」
「30年ぐらい前の物だと思います」
「ふむ。ちょっと貸してもらえるかな?」
「いいですけど……」
 どうするつもりだ? 怪訝に思いながらヒッコリーはカートリッジケースをケイオスに手渡した。ケイオスはそれを両掌で包みこみ、何を感じ取ったのか薄く微笑んだ。
「魔法使いがやってきたよ。さぁ、目を瞑って」
「え、は?」
 突然なにを言い出したんだ。
 戸惑っていると、ケイオスは語調をわずかに強くして促してきた。
「いいから、さぁ」
「はぁ……」
 瞼を模したアイシャッターを下ろすと、あたりは全くの暗闇になった。その奥からケイオスの声が、沼底からのぼるあぶくのように聞こえてくる。
「この銃弾を使って、君はどうなりたい? 君の欲望のぞみを私に教えて欲しいな」
「俺は……」
 闇のなか、ヒッコリーは夢想する。
 浮かびあがったのは、真白勇隊ホワイト・エースとして活躍する自分の姿だった。リアトス18を手に市街地を駆け、違法エイリアンをばったばったと倒していく。街の人々は熱を帯びた声でヒッコリーを讃美する。
 その後ろにはクメトとミカニがいる。彼らもまた、ヒッコリーと同じく真白勇隊ホワイト・エースの制服を身に着け、違法エイリアンたちを華麗に倒していく。
 頑張れヒッコリー、俺たちのヒーロー!
 讃美の声が街を満たす。
「そう、それは素敵な欲望のぞみだね」
 泥濘の声が、嗤った。
「さぁ目を開けて」
 声に導かれ、ヒッコリーは目を開けた。
 そこには目を閉じる前と同様ケイオスの手があったが、ただひとつ異なっているのはその上の弾丸が銀色に輝いていることだった。弾丸全体を覆っていた錆びは跡形もない。
「え、なんで?」
 すり替えマジックでも仕掛けられたのか?
 ヒッコリーは疑いの眼差しで弾丸を摘まんだが、シルバニウム弾で間違いない。
「……すげぇ。これ……どうやって……」
「私の魔力は古物との相性がいいのさ」
 そう言ってケイオスはパチンとウィンクする。ついさっきまでは胡散臭いとしか思えなかった挙措が、途端にちょっと魅力的に思えてくるから現金なものだ。
「これで給料泥棒だと蹴られずに済んだかな?」
 ケイオスはヒッコリーの手を引き寄せ、宝物に触れるような恭しい手つきでカートリッジケースを置いた。
 笑みの形を取った唇が、そっと囁く。
「これを諦めないでくれてありがとう。君は私のヒーローだね」
——ヒーロー
 熱に浮かされるようにヒッコリーはケイオスの言葉を繰り返した。

 残りのポスターを貼り終えて時計を見ると、終業時間から10分ほど過ぎていた。白服の男ホワイトマンとしての任務にあたる場合、就業時間などあって無いようなものだが、待機の今は遅くまで残っていても仕方がない。
 ヒッコリーは足早にロッカー室に向かったが、すでにミカニの姿は無かった。帰ったのだろう。
 車で追いかけると、基地から500メートルも行かない路上でミカニの背中を見つけた。ヒッコリーは軽くクラクションを鳴らし、パワーウィンドウを開けた。
「ちょっと待て、ミカニ!」
 ミカニが振り返り、興味が薄い顔つきでヒッコリーを見た。ヒッコリーは手招きして、助手席に乗るように合図をする。
 乗って来たミカニに、ヒッコリーはシルバニウム弾の入ったマガジンを差し出した。
「これ、やるよ」
 ミカニの無表情がわずかに動いた。勘違いかもしれないが、ヒッコリーの目にはそう見えた。
「……どこで手に入れた?」
「ケイオスさんだよ。あの人のおかげだ」
「そうか」
 ミカニはホルスターのリアトス18を取り出し、慣れた手つきで装填する。プラスチックと金属が触れ合う高い音が車内に響いた。
 ヒッコリーは興奮気味に身を乗り出した。
「さっき試し撃ちしたけどヤバい威力だったぜ。これならゾウだって一発だし、なんなら頑丈なのが取り柄の俺だってイチコロ・・・・だね」
「そうか」
「不良弾ならボボの所にまだまだある。それをケイオスさんに直してもらえば、これからはリアトス18を撃ち放題だ!」
「そうか」
「そうかそうかって……もうちょっと嬉しがれよ! その宝の持ち腐れをようやく使えるんだぞ?」
「あぁ」
 ミカニの反応は相変わらずそっけない。
 感動に咽び泣いてくれる……とは思っちゃいなかったけどさ。ちぇっ。内心で軽く舌打ちをして、ヒッコリーはミカニの肩を掴んだ。
「銃弾はやる。だが、ひとつだけ俺と約束しろ」
 ミカニは無言のまま、ひとつまばたきをした。
「このあいだの任務みたいに一般人を撃つのには使うなよ。正義の弾で一番やっちゃいけないことだからな」
 ミカニはもうひとつまばたきをした。
 何とか言えよ! ヒッコリーは念押しのためにぐっと声音を低くする。
「わかったな? 俺たちはこの銃でヒーローになるんだから!」
「……わかった」
「よし」
 景気づけに、パンパン、とミカニの肩を軽く叩いた。
「ま、もし迷ったりわからないことがあったりしたら俺の名前を呼べ。ヒッコリー! ってデッカい声でな。そしたらいつだってヒーローが助けてやるから」
 弾を得たこともあって、やや気が大きくなっている。しかしこんな時ぐらい先輩風、ヒーロー風を吹かせてもバチは当たらないだろう。
 ミカニは逡巡するように黙っていたが、やがて口を開いた。
「お前は本当にヒーローなのか?」
 真正面からの質問にやや面食らう。しかし気が大きくなっているヒッコリーはグンッと首を縦にした。
「おう、そうだ!」
「そうか。なら、わかった」
「よし!」
 今日は良い日だ。気分も上々! ヒッコリーはフロントガラスから夕暮れに染まっていく街路に目を向けた。
「ミカニさ、今から帰るんだよな?」
「あぁ」
「家まで送ってってやるよ。どこ住んでんだ?」
「…………」
 ミカニは黙りこんだ。しかしすぐに断ってきた先日よりは手ごたえを感じる。
 じっと待っていると、ミカニはぎこちなく口を動かした。
「……ヒッコリー」
「おっ、なんだ」
 名前を呼ばれたのは初めてじゃないか? さっそく吹かしたヒーロー風の効果が出たらしい。その調子だぜ、と肩を叩いてやりたかったが、萎縮してしまうとまずいのでぐっと堪える。
「同僚に家まで送迎されるのは一般的なことか?」
「普通普通。ほら住所言えよ」
「ベラノ区267-11-5」
「ベラノ区?!」
 思わずカーナビに入力するよりも先にミカニの顔を凝視してしまった。
 ベラノ区と言えば、セカンドウェストドームのなかでもかなり地価の高い地域になる。表通りには有名ブティックの路面店が連なり、中に入ると閑静な住宅街がある。恐らくその一角だろう。
 白服の男ホワイトマンは決して薄給ではないが、ヒッコリーやミカニのような平隊員では胸を張れるほどの高級取りではない。ベラノ区に住むことも不可能ではないが、かなり厳しいという肌感だ。
 可能性があるとすれば実家がそこにある場合だが……そんなわけないよなエイリアンだし。
 はー……と感心の声が出た。
「グッズ爆買いといい、お前金あるよなぁ。宝くじの高額当選者か?」
「違う」
「じゃあ何でだよ」
「宇宙船事故の賠償金がある」
「なるほどな、宇宙船事故の賠償金が——ってはぁ?!」
 ノリツッコミを早々に諦め、ヒッコリーは声を張り上げた。
 宇宙船事故の賠償金というと、例えば機体不良や操縦ミスによって乗客に被害が出た場合に本人や遺族へ支払われるもののはずだ。
 ミカニ自身が事故にあったのか? それとも家族が?
「お前の過去、いったいどうなって——」
 そこまで口にしたところで、ヒッコリーは自分を制止するために右手を挙げた。
「いや、ここから先はもうちょい親密度上げてから聞くわ」
 距離感を間違えてなんでもズケズケと聞いてしまうのはヒッコリーの悪い癖だ。今日は名前を呼ばれたからここまで。懐き始めた動物に触れるのを我慢する気持ちで首を横に振った。
「そうか」
 ヒッコリーの内心を知るはずもなくミカニは淡々と相槌を打つ。
「ベラノ区ねぇ……そうだ、セカンドウェストデパートって知ってるか?」
 ミカニは静かに首を横に振った。
 予感的中だ。ミカニがセカンドウェストドームに引っ越して来たのはごく最近で、さらにミカニは娯楽のために出歩くタイプではない。
 ヒッコリーは車のフロントガラスを通信モニターモードに切り替え『セカンドウェストデパート』と検索をかけた。デパートの公式サイトにアクセスし、外観写真を拡大表示する。
 年季を感じさせるグレーがかった白い外壁に、デパートの青いロゴが掲げられていた。
「200年前からある老舗デパートでさ、特に女モンの服が充実してる。吹き抜けの最上階にはデケー王宮のオブジェがあって、休みには結婚式もやってんだよ。さぁクイズだ。ここが何の聖地かわかるか?」
 ミカニはやや思案する目になり、すぐに口を開いた。
「37話、“奪われたティアラ”の結婚式シーンか?」
「正解! なんだよ、やっぱガルガティア超好きじゃん」
違う・・
「だから照れんなって。よし行くぞ、聖地巡礼!」
「わかった」
 セカンドウェストデパートまでは車を飛ばして30分もかからなかった。路上パーキングに停めて車を降りる。
 しかし巨大なアーチを描く正面玄関の前に立ち、ヒッコリーは呆然と立ち尽くした。
「臨時……休業……」
 正面大扉のカーテンは下ろされ、大判の張り紙が掲示されていた。

 臨時休業のお知らせ。
 誠に勝手ながら、照明不良のため本日臨時休業とさせていただきます。
 皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願い致します。

 二度ほど読み直したあと、ヒッコリーはミカニの肩をポンと軽く叩いた。
「ま、しょうがないよな。また来ればいいしさ。外から写真だけ撮って帰ろうぜ」
 照明不良という記載の通り、ガラス製の正面大扉から見える館内は真っ暗だった。非常誘導灯も消えているところを見ると、設備不良は深刻らしい。
 ヒッコリーは視界を暗視モードにしてカーテンの隙間から店内を覗きこんだ。
 まぁ古いデパートだしな。それでも店構えはなかなか立派なもんじゃねぇか?
 聖地巡礼の贔屓目で高得点を付けようとしたそのとき、ふと、ヒッコリーは店内の様子に違和感を覚えた。立ち並ぶマネキンが荒っぽく左右に寄せられており、中央に大きなスペースが空いている。
 ちょっと見では業務上の処置のようだが、商品であるはずの衣類が乱雑に散らばっているのはただ事ではない。ヒッコリーはカメラをズームさせ、空きスペースに目を凝らした。
 ディープグレーのフロアに何か書かれている。見覚えのある擦れた筆跡に、嫌な予感が走る。暗視の明度を最大まで上げて、ようやく文字が読み取れた。

 あぁ、我がキング
 あなたの女王クイーンは最上階、白亜の王宮で待っています。

「……ここが女王クイーンの王宮だってか? ずいぶん近場の王宮だな、オイ」
 動揺をどうにか抑えて笑い飛ばす。
 フララートの連中がなぜメッセージを残しているのか。ヒッコリーのぽんこつな頭では見当もつかないが、ろくでもないことをしようとしているのは間違いない。
 このまま踏み込むか。しかし仔細が不明な以上、自分とミカニの二人で解決できる相手なのかは全くの未知数だ。
 一旦引き返して増援を頼むか? しかしその間にも奴等が姿を消してしまうかもしれない。苦労して手に入れたアタッシュケースの中身が空っぽだったように。
 どうする、どうする。
 時間にしてほんの数秒の間に、せわしなく判断の天秤が揺れる。
 いつもならヒッコリーは間違いなく「行く」と言っただろう。そして隣にいる誰かが「待て」をかけただろう。しかし今、「待て」の声はなく、チームメンバーであるミカニの行動はヒッコリーが握っている。
 どうする、俺!
 そのときヒッコリーと同じく店内に目を向けていたミカニが呟いた。
「……女児だ」
「は? 何だって?」
「今、店内に女児が走っていくのが見えた。身長は110センチ前後、衣服はイエローのワンピース」
「マジかよ……」
 一般人が悪戯をするためで入りこんでしまったのだろうか?
 瞬間、ヒッコリーの意思は固まっていた。一刻も待ってはいられない。
 しかし中にフララートの黒服たちがウジャウジャといるのなら、自分とミカニだけでは戦力が足りないのも事実だった。
「増援を呼ぶぞ」
 案が一つだけあった。癪だが、ギルネ隊に助けを求めよう。
 ギルネとはいがみ合う仲だが、そのぶんお互いに気心は知れている。ヒッコリーと反発し合っているからといって市民の危機を無視するような男ではない。
 ヒッコリーは携帯端末をタップして、アドレス帳を素早くスクロールした。ギ……ギ……
「——あった」
 連絡用番号を押そうと指を上げた、そのときだった。
 不意に、地面を踏み抜いたかのような揺れがあり、ヒッコリーは訳も分からずたたらを踏んでいた。携帯端末を落としそうになり、アンバランスな姿勢から慌ててキャッチする。
 幾秒か遅れて、鼓膜を殴りつけるような爆発音が聞こえてきた。
「何だ何だ何だぁ?! 何が起こった?」
 音がした方へと顔を向ければ、ビルとビルに挟まれた夜空が明るく染まっていた。揺らめいているのは、すべてを燃やし尽くす灼熱の炎だ。
 原因は瞬時に理解できた。連続爆発事件が今まさに起こったのだ。
 ヒッコリーは「ハハハ」と乾いた笑いを漏らした。
「……ギルネくん、あっち放り出して来てくれると思う?」
「いや」
「……だよな」
 ヒッコリーは携帯端末を見つめた。
 画面には“ギルネ”の下に“クメト”と表示されている。

『——悪を許さぬ正義の心……ガルガ・ガルガ・ガルガティア……』
 安っぽい電子音——ガルガティアのオープニングソングがクメトの携帯端末から響いた。ヒッコリーが勝手に設定した着信音だ。
 何度も聞くうちに慣れてしまい、最近ではもう何も感じなくなっていた。それがヒッコリーと喧嘩している今は妙に腹立たしい。
 携えたショルダーバックの中で鳴るのに任せていると、回転するプロペラファンを眺めていたケイオスが面を上げた。
「出なくてもいいのかい?」
「……あいつのことですから。どうせ、大した理由じゃないですよ」
 限定品のガルガティアグッズを見つけたから金を貸してくれだとか、録画し忘れたから助けてくれだとか、大方そんなところだろう。
 二人がいるのは空調システムの集まる設備室だった。もし通話のためにケイオスから目を離したら、また『迷子』になってしまう。
 やがて着信は切れ、ボイスメモ録音に切り替わった。かすかな電子音が聞こえてくる。すぐに終わるかと思いきや、10秒や20秒ではなく妙に長い。録画の懇願なら10秒もかからないはずなのに——……
「あぁ、もう!」
 ついに我慢しきれなくなり、クメトは端末を取り出してボイスメモを再生した。 
『ヒッコリーだ。今、セカンドウェストデパートにいる』
 なーんだ、買い物に行ってんじゃん。驚かせないでよ。
 胸を撫で下ろしたが、続くヒッコリーの台詞で顔が引きつった。
『臨時休業中のデパート内に不審なメッセージを確認した。恐らくフララートの連中が中にいる』
「え、ちょっと!」
 思わずクメトは叫んだが、録音のヒッコリーが応答してくれるはずもない。 
『至急お前に増援を頼みたい。お前にしか頼めないんだ』
 その声はいつものヒッコリーよりも冷静で、低い音質も相まって別人のように聞こえた。
『デパートには一般人が囚われている可能性が高い。俺とミカニは今から潜入する。じゃあな、クメト』
 録音が切れる。ツー……という機械音を聞きながら、クメトは口元を引き結んだ。
 フララートの連中はなぜデパートを根城にしているのだろう。何のために? 何もわからないの。わからないのに飛び込むだなんて馬鹿がすることだ。
「……無理だよ。僕は弱虫猫だから」
 行って、自分に何ができると言うのだろう。
 今までクメトが白服の男ホワイトマンとして任務でそれなりに結果を残せていたのは、正確な情報に基づく作戦計画があったからだ。
 何もわからない状態で任務に着いてしまったら足手まといになるだけだ。
 無理だよ、無理、無理、無理。
 何も考えたくなくて、逃げるように目を閉じた。視界が優しい闇に染まっていく。
「君は本当に弱虫なのかな?」
 闇の奥から、あぶくが立ち上るように声がした。しかしクメトはそれを遮るように言い立てる。
「……弱虫です、僕は、弱虫なんです」
「君はとても賢い。その賢さは、いつも良くない未来を見てしまう。それが、君の足を竦ませてしまうんだね」
「そんなに良いものじゃないです、絶対に」
「だけど賢い君には見えるはずだ。君が立ち止まった未来で、何が起きるのかを」
 闇のなかに幾筋も細い光がさし、束なって像を結んでいく。動かなくなったヒッコリーと、全身から血を流すミカニの姿——
 泥濘の底から声がした。
「さぁ、君の欲望のぞみを教えて?」
 クメトはそっと目を開けた。
「僕は……明日、あいつと馬鹿みたいな話がしたい。それだけです」
 ケイオスはやわらかに微笑んだ。
「それは、とても素敵な欲望のぞみだね」

 クメトとスピアの通信端末に現状を伝える伝言を残し、ヒッコリーは電話を切った。視線を上げ、闇が蟠るデパートを睨みつける。
「行くぞ、ミカニ」
「了解した」
 相変わらずミカニの反応はそっけない。
 産業用ワーカロイドの自動音声じゃねぇんだから、ここは「応!」とか「ラジャー!」とか、テンション高くいった方が気合い入るんじゃねぇの?
 そうは思うものの、ミカニの淡々とした受け答えが癖になってきているのも確かだった。
 任務用の白服に着替えた二人は正面玄関から裏手に周り、従業員用出入口に辿り着いた。鍵は単純な構造のステンレス製シリンダー錠。この程度ならば銃で撃ち抜く必要もない。
 ヒッコリーがドアノブを回す手に力を込めると、扉を隔てて向かいのノブごともげ取れた。ドアを押し開け、そのまま静かに侵入する。
 一階フロアに人の気配はなく、不気味なほどに静まり返っている。悪戯で入るにしてもかなり気合が必要だが、女の子がいたと言うのは本当なのだろうか? わずかに疑心がよぎったが、ヒッコリーはすぐさま否定した。ミカニは冗談を言うようなタイプではなく、正確性に欠ける情報を伝達するような無能者でもない。付き合いは短いが、はっきりと断言できる。
 目的地点は最上階。辿り着くための手段は2つだ。
 1つは停止している正面エレベーターを徒歩で上っていく方法、もう1つは従業員用の裏口階段を上っていく方法。平常時であればエスカレーターが動いているが、今は完全に止まっている。
 ヒッコリーは正面から上っていくことを選んだ。裏口階段は狭く、ヒッコリーの巨体では引っかかってしまう。ミカニとツーマンセルで動くにも都合が悪い。
 2階、レディース衣類フロアまであと10段というそのとき、ヒッコリーに内蔵された探知レーザーが気配を察知した。
 数は10。サーモセンサーの反応から、バトロイドではなく有機生命体であることがわかる。エイリアンだ。
 先手必勝、ヒッコリーはフロアに駆け上がり、リアトス18をぶっ放した。
 ケイオスの魔力によって強化されたシルバニウム弾は、強烈なマズルフラッシュを放ち敵の膝へと突き刺さった。黒服のエイリアンは呻き、膝から崩れ落ちていく。
 あぁ、これだよこれ!
 緊迫した状況とは裏腹に、内心の歓喜が止まらない。迫り来る敵の銃弾を交わしつつ、狙いを定めてもう一発バンッ——命中! 右肩に弾を食らったエイリアンは、銃の威力によって後ろに倒れた。
 大立ち回りを繰り広げるヒッコリーとは真反対に、ミカニの動きにはまったく無駄がない。ヒッコリーがどうにか3人目を倒したときには、ミカニが残りの5人を倒し終わっていた。
「いつの間に?!」
「このまま3階に上がる」
「お、おう……そうだな」
 やや意気消沈してしまったが、それでもヒッコリーの士気は高かった。今の8人が敵勢力の全てなら撃退任務は完了だ。心の余裕をもって迷いこんだ少女を探すことができる。
 甘かった。
 3階、化粧品フロアには12人もの黒服たちが隠れていた。2階での戦闘状況が共有されているらしく、奇襲にあったのはヒッコリーたちの方だった。
 どうにか倒し終わって4階、生活用品フロア。次は何と——
「まだ増えんのかよ!」
 15人。大盤振る舞いだ。
 一人一人の練度が低く、動きが鈍いことだけが救いだが、それでも数の力は侮れない。的が大きいぶん狙われやすく、ヒッコリーは身体のそこかしこに銃弾を受けてしまった。バトロイドなので凹むだけだが、ヒューマンやエルフなどの華奢な種族ならば戦闘続行は不可能だろう。
 ヒッコリーの目には、ミカニが銃弾を受けているようには見えなかった。すげぇな、と素直な感想が湧いてくる。
 そして5階、6階を越え、7階寝具フロア。ついに敵は20人に達した。ここを乗り超えれば最上階だが、そろそろヒッコリーの集中力も限界に近かった。さらに6階で戦っているときに気がついたことがある。
(こいつら……なんか復活してねぇか?)
 下層階で倒した黒服が、なぜか敵陣営に合流している。倒しても倒しても湧いてくる様は、さながらゾンビを倒すシューティングゲームだ。その目は鮮やかな緑色に光り輝き、どう見ても正気ではない。
 謎のドラッグ“緑の女王クイーン”——その正体は痛みや思考を麻痺させ、組織にとって都合のいい無敵の兵隊として操る特殊ドラッグ、という所だろうか。
 ヒッコリーの集中力が途切れたその瞬間、銃を握る右手首に銃弾が突き刺さった。まずい。必死で掻き寄せる指の先を、リアトス18がスローモーションのように落ちていく。
 無数の銃口がヒッコリーの脳天へと向けられる。はっきりと過ぎる死の予感。俺はこのまま、ヒーローに成れないまま終わっちまうのか?
 その瞬間だ。
 ダダダダダッ! 聞き慣れたフルオートの銃声が響き、ヒッコリーを取り囲んでいた黒服の男たちがバタバタと倒れていった。
——まさか。
 振り返ると、闇のなかに一筋、黄金の光が奔った。トトンッ、軽やかな足音を立ててクメトがヒッコリーの目の前に着地した。
 一瞬フリーズした後に、フッ、とヒッコリーは笑いかけた。
「ずいぶん遅かったじゃねぇか。休暇は楽しめたか?」
「誰かさんが居ないお陰で静かだったよ」
 軽口を叩きながら、クメトは背負った機関銃レイコープM6から銃弾をバラ撒いた。ゾンビのようにのろまな黒服たちが避けられるはずもなく、ヒッコリーたちが苦戦したことが嘘のように倒れていく。
「ここは任せて二人とも上に行って。雑魚掃討は僕の仕事だ」
「……でもよ」
 クメトは不慮の出来事に弱い。得体の知れない黒服たちとの戦闘に、置いて行って良いものだろうか?
 そんなヒッコリーの内心を見透かしたのだろうか。クメトはまるで生まれ変わったかのように清々しい顔で、黒服たちを睨み据えた。
「僕だって今日くらいはヒーローになったっていいでしょ? ヒーローを助けるヒーローだ」
 あぁ、こいつには敵わないな。
 ヒッコリーはニヤッと笑い、クメトの肩をバシッと叩いた。
「ありがとうなヒーロー! お前は命の恩人だ。——行くぞ、ミカニ! この上が最上階だ!」
「あぁ」
 ミカニは目前で繰り広げられた英雄的ヒロイックな会話を聞いても特に感慨はないらしく、端的に返してくる。
 そうだよな、お前はそういうやつだよな。
 油断をすれば恐慌に陥りそうになるこの場において、ミカニの冷静さは何より頼もしい。
 ヒッコリーはミカニと共に地面を蹴り上げた。
 

 ヒッコリーとミカニがエスカレーターに消えたのを確認し、クメトは改めて黒服の男たちを睨んだ。数は夥しく、その全てがゾンビのように立ちあがり、のろのろとクメトに向かってくる。
 作戦書は、無い。すべてを自分で決めなくてはいけない。恐怖に足が震えた。脳裏には『お前は命の恩人だ』というヒッコリーの声がリフレインしていた。
 自分に言い聞かせるように、呟く。
「——大丈夫。僕はもう、弱虫じゃない」
 祝福のように銃声が響き渡った。

 長いエスカレーターを上りきると、そこには吹き抜けの大広場があった。
 ガラス張りの天井は高く、夜空が青く透けている。巨大なシャンデリアの灯りは落ち、星明かりにキラキラと瞬いていた。
 きっと外は連続爆破事件で大騒ぎだろう。しかしここには静寂だけが満ちて、ときおりシャンデリアのクリスタルとクリスタルが触れあう微かな音がこぼれてくるだけだ。
 広場には休憩のためのテーブルとチェアが何十台と並べられ、平素の賑わいを示していた。けれどいま、人影は二人の他に無く、さきほどまで銃弾が飛び交う中にいたことが嘘のようだ。
 黒服の連中はこの階には来ていないのか? なら一階に書かれていたメッセージは一体なんだったんだ?
 ヒッコリーは素早く視線を巡らせる。フロアの中央には淡いピンクの絨毯がバージンロードのように敷かれている。
 その奥に、このデパートのシンボルである『セカンドウェスト王宮パレス』は建っていた。
 高さは7メートルほど。恐らくダークステイツに存在する魔王城を模したそれは、禍々しい実物に比べてずいぶんファンシーだった。壁は純白、尖塔はパステルピンク。細部には彩度の高いゴールドがあしらわれ、月光の下で愛らしく輝いている。
 正直、王宮パレスというよりはキャッスルと呼ぶ方が正しいデザインだが、そこは言葉の響きを優先したのだろう。
 とりとめのないことを考えながら、ヒッコリーは足を進めていく。すると脳内に軽いアラート音が響いた。サーモセンサーに自分たち以外の何かが引っかかったのだ。
 セカンドウェスト王宮パレスの正面階段をのぼりきった先に、イエローのワンピースを着た少女がぽつんと座っていた。月明りが落ちて、彼女のまわりだけぼんやりと光っているように見える。
「見つけたァ!」
 夕食の時間にはもう遅い。休館したデパートに迷い込んでしまうにしてはおかしな状況だが、縛られている様子はないので、人質というわけでもなさそうだ。
「ちょっと保護してくるわ」
 片手を挙げてミカニに合図し、ヒッコリーは駆けだした。
 身体のサイズ差で言えばミカニの方が少女を怯えさせないだろうが、被害者とのコミュニケーションはミカニと絶望的なほど相性が悪い。
 静まり返った大広場に、ガチャガチャというヒッコリーの足音が響く。少女はゆっくりと顔を持ちあげてヒッコリーを見た。
「……ヒーローのお兄ちゃんだ」
「あ!」
 ヒッコリーは指をさして大声をあげてしまった。つい先日廃工場に迷い込み、ミカニに誤射されそうになったイエローのワンピースの少女だった。
「どうしてこんなところに来たんだ? 危ないだろ。あ、もしかしてそういうのに燃えるタイプ?」
 少女は答えなかった。とろりとした瞳で、捉えどころのない微笑みを浮かべたままだ。
 洗脳。
 その二文字がヒッコリーの脳裏によぎった。
 そういえば、ガルガティアにも敵幹部によって洗脳されてしまったヒロインの回があった。敵に指示されるまま動き、物言わぬ人形のようになったヒロイン。ガルガティアによって敵が倒され、そこで初めて洗脳がとけた。
 なるほどな。ヒッコリーは敵の企みを理解した。“緑の女王クイーン”を使って彼女に洗脳をかけた悪人が、この近くに潜伏しているに違いない。
 それがなんだって言うんだ。今のヒッコリーはどれだけ不意を突かれたとしても負ける気はしなかった。
「もう大丈夫だからな。俺が今助けてやる」
 ヒッコリーは階段を一段飛ばしで駆け上がった。
「……待て」
 何を思ったのか、ミカニから制止の声がかかった。こいつ、イエスとノー以外の会話もできたのか。ヒッコリーは背後に向かってヒラヒラと手を振った。
「お前は敵を探してくれ、どっかにいんだろ」
 階段を登りきったヒッコリーは少女の前に膝を突いた。それでも体格の差は如何ともし難い。
 怖がらせないよう、そっと手を伸ばした。
「もう心配はいらないからな。俺たちと一緒に帰ろう」
「ううん、まだダメなの」
 少女はヒッコリーの手を弱々しく握り返し、首の座らない赤子のようにぐらぐらと首を振った。
「何がダメなんだ?」
「だって……だって……まだキングが来てくれない。まだキングが目を覚まさない」
「俺がお嬢ちゃんのキングじゃダメかな? バトロイド界では結構イケメンで鳴らしてんだけど」
 嘘八百を並べて少女の機嫌を取る。無理やりここから退避させるのは簡単だが、それはヒーローのやり方じゃない。
「それともさ、誰かにキングを探すよう言われたのか? なら大丈夫、もう怖いやつらはいないからさ」
「——ヒッコリー・・・・・
 大声、と呼んでいいほどミカニが声を張り上げた。
 え、お前そんなにボリューム上げられたんだ。
 異常事態に思わずに右方に目を向ける。すると更なる異常事態が起きていた。ミカニがこちらにリアトス18を向けているのだ。
 は? なんでだよ。
 状況が理解できず二度見三度見としたが、何度見たところでミカニの銃口はこちらを狙っている。
「戻れ」
 バカ、ふざけてる暇があったらさっさと敵を探してくれ! 威嚇するようにミカニへ向かい目を明滅させたが、それでも銃口は動かなかった。
「ねぇ」
 少女は注意を引くようにヒッコリーの手を引っ張り、ふふふ、と悪戯っぽく笑った。その緑の瞳を、おろしたてのクレヨンのように綺麗だな、とヒッコリーは思った。
「あの人はなぁに?」
「あぁ、あいつはミカニ。不愛想だが悪いやつじゃないんだ。俺たちは嬢ちゃんのヒーローになるためにここまで来たんだからな!」
 銃声が聞こえた。
 ヒッコリーの目の前で、少女の頭が真っ赤な果実のように爆ぜた。
 勢いをつけて身体が倒れ、床にぶつかった肩が鈍い音を立てる。一拍遅れて、ずたずたになった首の断面から壊れた水道管のように血が噴き出した。瞳の外部レンズが一瞬にして鮮紅色に染まっていく。
 ヒッコリーは目の前で起こったことについて、上手く情報を処理することができなかった。
「……は?」
 血みどろの手を伸ばし、散らばった肉塊をかき集める。つい数秒前まで命だったものが、ぼろぼろと指の間から落ちていった。
 訳が、わからなかった。 
 油を差し忘れた機械のように、ぎこちない動きでミカニを見た。
 ミカニはリアトス18を構えたままで、その銃口は少女からヒッコリーに向けられている。白い硝煙が細く立ち上り、空気に溶けて消えていく。
「……なんで、撃ったんだ」
 ミカニの表情は動かなかった。
「危険だと判断した」
「危険? この子どもの、どこが危険だ!」
「操られている」
「そんなことはわかってたんだよ!」
 立ち上がり、スピーカーが壊れるほどの大音量で叫ぶ。無数の憎悪と呪詛を重ねたような、人の声とは到底思えない音になった。
「だから今、洗脳を解こうとしてたんだろうが!」
 刹那のうちに階段を駆け下り、ミカニの銃を掴んで銃口を天に向ける。それでもミカニは表情を変えなかった。
「不可能だ」
「なわけねぇだろ!」
 ヒッコリーの頭のなかで、無数のアラート音が鳴り響いている。
——過電流です、過電流です、システムエラー。
 悲鳴じみた警告も、今は思考に届かない。
「俺はこの銃で、もう一般人を撃つなって言ったよな!」
「……あぁ、言った」
「この銃で一緒にヒーローになろうって言ったよな!」
「……あぁ、言った」
 こんな感情がこの世界にあったのか。自分でも驚くほどの呪詛じみた殺意が全身を焼き尽くしている。目の前で表情を変えようともしない、この男の喉笛を裂いてやりたい。臓物引きずり出して、形が無くなるまで躙りたい。純粋な憎悪だけがここある。
——ウィルスが感知されました。セキュリティシステムが破損しました。
「撃つ以外に、いくらでも方法があったはずだ」
「不可能だ。操られた者が意識を取り戻すことはない」
「お前に何がわかるんだよ!」
「……俺が、キングだからだ」
 場に不似合いな冗談に、は、は、と虚ろな笑いが漏れた。
「……イカレてんのか」
 どうやらこの男は本当におかしくなってしまったらしい。おかしくなってしまったのなら、今後一般人に被害が及ばないよう殺してしまうのがヒーローとしての正しい道だろう。
 ヒッコリーはミカニの脳天へ狙いを定めた。
 引き金を引くのは一瞬だ。それで全てが終わる。
 ヒッコリーは指先に力を込めた。しかし、引き切るよりも先に、ふと——『これは、違う』と奇妙な違和感が湧いてきた。
 自分が今すべきことは、この男を殺すことだろうか? もしかして『違う』んじゃないか。『違う』『違う』『違う』『違う』『違う』。

 じゃあ、一体何を?

 少女を弔う? 『違う』
 黒服たちをやっつける? 『違う』
 ヒーローになる? 『違う』
——循環液が漏れています、異物の侵入を感知しました。
 目の前に広がる世界が、一瞬にして拓けた心地がした。
「あぁそうだ、思い出した!」
 どうしてこんなに大切なことを忘れてしまっていたんだろう。
 キング
 そう王、王を見つけないと。
 それはどうして? 答えるまでもない、単純明快なこの世の真実。
 だってアタシは!

「——女王クイーンだから」

 それ、は恍惚として言葉を張りあげた。
 ヒッコリーの姿ではあったが、もはや永遠にその意識は失われ、決定的に違う生き物と成り果てていた。
 女王は両腕を広げ、ミカニに向かって歓喜に吠えた。 
「あぁ、王! 我が王! アタシです、あなたの妃です」
 アイレンズのなかでは毛細血管のように細かな触手が蠢き、オレンジ色だった瞳を緑色に染めあげていた。それはまるでバクテリアに汚染された海のように、おぞましいほど鮮やかだ。
「かすかな気配。けれどはっきりと! あぁ王、なぜ答えて下さらないのですか」
 女王は、少女がヒッコリーにしたようにミカニの手を握りしめた。すると機械の接合部から絹糸よりもさらに細い触手が溢れ出し、ミカニの手に食らいつく。
 それこそが女王が身体を渡っていく手段だった。
 女王は勝ち誇ったように口角を歪めていたが、幾秒も経たずして、弾かれたように手を離した。
「お前、まさか感情が無いのか? 馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な。そんな生き物がこの世にいるものか!」
 口から束状にまとまった触手がぞろぞろと溢れ出し、絶叫とともに粘液が飛び散った。ミカニの顔が、白いジャケットが、緑色の毒液によって汚れていく。
 女王はヒッコリーのものであった右腕を自らの胸に当てた。
「この身体は永遠に喪われた。どうだ、復讐心に沸き起こるだろう、この男のように呪詛と憎悪に身を焼かれるだろう!」
 しかしミカニは鼓膜を裂くような大音声など聞こえていないかのように、ただ彼の名を呼んだ。
「……ヒッコリー」
 女王は狂ったように嘲笑した。
「無駄だ、死んでいる!」
「……そうか」
 ミカニはリアトス18を掲げ、引き金を引いた。銃声が響き、頭を失ったバトロイドはゆっくりと後ろに倒れた。
 重ねて、ミカニはバトロイドの身体に銃を向けた。銃声は5発。ミカニが女王の死亡を確認すると、場に再び静寂が訪れ——破られた。

『ガルガ・ガルガ・ガルガティア!』

 静寂を破ったのは、耳障りな電子音だった。
 ミカニが振り返ると、そこには、優雅な足取りで歩んでくるケイオスの姿があった。携帯端末の電子音を止め、軽やかに右手をあげる。
「やぁ、邪魔をしたかな?」
「いいえ」
 ケイオスは頭を失った少女と、頭を失ったバトロイドを順に示した。
「おめでとう、これで悪者たちは全員倒された!」
「……全員」
 ミカニはケイオスが上ってきたエスカレーターを一瞥した。しかし階下の様子はここからでは見えない。
「下はクメトが倒したのですか」
「そう! なんと彼は全員を倒したんだ。全身に銃弾を受けても挫けずに、とても勇敢だった。お陰で彼も苦しまずに済んだだろうね」
「そうですか」
 そこで、ケイオスは思い出したように携帯端末を差し出した。
「これはクメトくんの遺品だよ。要るかい?」
「いいえ」
「そう。じゃあもういっか」
 ケイオスは床に向かって携帯端末を放り投げようとする。するとそこで表示画面にライトが灯り、着信音が鳴り響く。
 ケイオスは手から離れかけた端末を慌ててキャッチした。
「おっとっと」
 ケイオスが画面を横にスワイプすると、酷く急いた女の声が聞こえてくる。
 スピアだった。
『ちょっとクメト、ヒッコリーの馬鹿知らない? 全然繋がらなくて……』
 シィ……
 ケイオスはミカニに向かって指を立て、『静かに』のジェスチャーをする。
 求められる通りにミカニが黙っていると、返事を待たずにスピアは早口で捲し立てていった。
『あいつ、“緑の女王クイーン”に突っ込んでった! ねぇ、絶対止めて!』
 ワオッ
 ケイオスはおどけて、驚いたね、というようにジェスチャーをした。
『アタッシュケースの白い文字、覚えてるでしょ? 兄貴が毒生物の研究者オタクでさ、いま分析結果が返ってきた。あれは生き物の体液。あの中に入ってたのは、ラズグ——寄生型エイリアンだった。真白勇隊ホワイト・エースに出動を要請するから、あんたたちはそれまで待機を——』
 そこで、ふぅ、とケイオスは深い溜息をついた。
 端末に向かって憐憫に満ちた視線を向ける。
「可哀そうに、君たちはいつも間に合わない・・・・・・ねぇ」
『ん? ちょっとあんた、クメトじゃな——』
 ケイオスは通話を切った。
 そのまま携帯端末を地面に放り捨て、ミカニへと微笑みかける。
「すまないね、こっちの話さ。君の話を聞かせて欲しい。ヒーローになった気分はどうだい?」
「特に、何も」
「ヒーローに憧れていたんじゃないのかい?」
「いいえ」
「ガルガティアという作品を熱心に愛好していたのだろう?」
いいえ・・・
「——あぁ!」
 ケイオスは得心がいった様子で、パチンと手を打った。
「君はただ、道徳や感情の模倣エミュレーションをしていただけなんだね」
 ケイオスは黒革の表紙に宝石細工が施された本を取り出した。
 男がゆらりと手を動かすと、本は宙に浮かび上がり、とあるページを開いた。ケイオスは歌うように文字を読み上げていく。
「ブラントゲート建国以来最大の被害者を出した宇宙船事故、テセア船事件。原因は船内に入り込んだエイリアン、ラズグだった。彼らの特徴は二つ。
 一つ、驚くほどの速さで他生物に寄生すること。そしてもう一つ。寄生した生き物の“感情”を食うこと! しかし惨劇のなかで君はたった一人生き残った。なぜなんだろうね。幼かったから? 強かったから?」
「いいえ」
「感情が無かったから」
「はい」
「はははっ、まるで出来過ぎた奇跡のようだね!」
 手を叩いて笑うその姿は、間近に死体が転がる場においてあまりにも異質だった。
 ミカニは思案し、問いかける。
「ヒッコリーやクメトが死んだのは、あなたの企みですか」
「企み! いいねぇ、絵に描いたヒーローみたいだ。では答えようヒーロー。“いいや”。感情を食い尽くしてしまうなんて勿体ないこと、私は決してしないさ」
「では、あなたは何のためにここに来たのですか」
 助けるでもなく、殺すでもない。では、この得体の知れない存在は何のためにここに居るのか。
「そうだねぇ、君たちの欲望のぞみを見たかったから、かな」
「それはなぜですか」
 ケイオスは口元に手を当てて「うーん」とわずかに考えこみ、すぐにピンと人差し指を立てた。
「それが私の欲望のぞみだから」
「そうですか」
 ガルガティアには、そのような行動規範で動くキャラクターは敵にも味方にも居なかった。そこから外れた存在をミカニは理解することはできず、評価することもできない。ただ「そうなのか」と受け止めるだけだ。
「さ、私に君の欲望のぞみを教えてミカニ」
「できません」
「そう」
 ケイオスはさして気分を害した様子もなく唇を軽く尖らせる。そしてすぐに「名案を思いついた!」と言うように歯を見せた。
「なら、私と行こうか」
 ケイオスは優雅な身振りで手を差し出してくる。まるでワルツへ誘うようなロマンチックな仕草だが、ミカニは無機質な目でそれを見返した。
「……どこへ」
「君の欲望のぞみがあるところへ、さ」
 欲望のぞみ
 それは幼い日に見たヒーローよりも、遠い星の暮らしよりも、現実感のない存在だった。
 そんなものがこの世のどこかにあるのだろうか。
 ミカニはケイオスの手を取らず、機械的に首肯した。
「はい、ケイオス様」
「おっ、さっそく様付けかい? いいねぇ。じゃあ私もミカって呼んでいいかい?」
「どうぞ」
「ミーカ♡」
「はい」
 ケイオスは欲しかったものをすっかり手に入れた子どものように、浮かれた足取りで歩き出す。ミカニはただその後ろに従って進んでいく。
 歩みの先に、ケイオスが放り捨てた携帯端末が落ちていた。電話がかかってきたのだろう。不意に液晶が光り、電子音が流れ始めた。

『ガルガ・ガルガ・ガルガティア……』

 落ちた拍子にスピーカーが壊れたのか、音が割れて耳障りだ。アレンジされた高い歌声はノイズに侵されはじめ、呪詛じみた低音に変わっていく。
 ミカニは足を進める。靴底から、液晶が砕ける感触が伝わってくる。
 歌は止んだ。
 もう聴こえることはない。